日本の道/東京湾アクアライン 【1989,1990,1991,1992,1993,1994,1995,1996,1997】

シールドトンネルと橋梁で構成した大作!?、東京湾横断道路

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東京湾横断道路の建設計画

 神奈川県川崎市川崎区浮島町を起点とし、千葉県木更津市中島を終点とする総距離15.1kmの東京湾アクアライン。東京湾横断の大動脈を造るという構想は意外に古く、1960年代には具体的に検討されるようになった。
 1966年4月になると、建設省(現・国土交通省)が東京湾の横断道路に関する調査を開始する。そして1971年4月に「民間事業主体の活用による東京湾横断道路の建設について」を中間報告し、翌1972年7月には東京湾横断道路研究会が設立された。この時点での道路構想は、川崎側と木更津側の両端を橋梁構造とし、あいだを沈埋トンネルでつなぐもので、これは大型船舶の航行および羽田空港を使用する航空機の離着陸に配慮した企画立案だった。さらに、この構想は2方式に具体化される。ひとつは当時のトンネル換気技術をもとに中央部に3kmほどの沈埋トンネルを造り、その上で盛り土構造の2つの人工島で橋梁と接続する案。もうひとつは、トンネル中央部にも換気用の人工島を設置して2本の沈埋トンネルを接続する5kmトンネル構造の方式だった。結果的には工期や費用の面での優位性から前者の案が検討され、1975年8月には建設省の技術会議において「東京湾横断道路は技術的に建設可能」と結論づけられる。そして1976年8月になって、日本道路公団に東京湾横断道路調査室を設置。1979年7月には同公団東京第一建設局の東京湾横断道路調査課に発展した。

 2度に渡るオイルショックなどで東京湾横断道路の建設計画は遅延をきたしたものの、それでも1980年8月には日本道路公団による海上ボーリングが実施され、翌1981年11月には「東京湾横断道路の調査概要」がまとめられる。1982年8月になると、第9次道路整備5カ年計画案において「東京湾横断道路の調査を完了し、建設に着手する」旨を明記。1986年10月には、事業主体として東京湾横断道路株式会社が設立された。

川崎側がシールドトンネルで木更津側が橋梁の構造に最終決定

 着々と進む東京湾横断道路の建設計画。しかし1980年代の中盤にさしかかると、大きな問題が持ち上がる。輸出入の増加に伴う東京湾の船舶航行の大幅な増加だ。とくに川崎側ではこの傾向が顕著で、建設時および供用開始後には航行に支障をきたす恐れがあった。航行への影響を可能な限り少なくするには、どうすればいいのか……。関係者は議論を重ね、最終的に川崎側を長大なシールドトンネルで、木更津側を橋梁で造ることに決定する。これには、当時のシールド技術や換気技術の飛躍的な進歩が背景にあった。

 1989年5月、いよいよ東京湾横断道路の建設がスタートする。最初に建設されたのは川崎人工島と木更津人工島で、これに浮島基地を加えた3カ所からシールドマシンが発進した。シールド機外径が14.14m、セグメント外径でも13.9mと、世界最大級の大きさを誇る泥水加圧式シールドマシンは計8機が使用される。トンネル距離は9.5kmほどで、3.5m幅道路2車線&路肩2.5m×2本を掘削。地中連続壁は壁厚2.8m/深さ119m/内径98m/コンクリート量102.000m3、内部掘削は358.026m3、本体は鉄筋コンクリート241.306m3/底版厚6.0m/側壁厚6.0〜2.5m/隔壁厚4.0〜3.0m/スラブ厚1.2〜0.3mで構成した。

 一方の木更津側橋梁部に関しては、耐震性や走行性の向上を目的に多径間連続化を図り、9〜11径間の大規模な連続桁構造(鋼床版籍桁形式)で建設する。総距離は約4.4km。チタンクラッド鋼板や3種のゴム支承(HDR/LRB/RB)といった構成材のほか、海とのハーモニーを織り成す橋梁景観デザインなども採り入れた。
 シールドトンネルと橋梁部を結ぶ部分には、全長約650m/全幅約100mのパーキングエリアを設置する。後に“海ほたる”と呼称されるPAは5階建で構成され、1〜3階までが駐車場、4〜5階が営業施設とした。

「東京湾アクアライン」の名称で供用開始

 規模の大きさや工事の先進性から“土木のアポロ計画”といわれた東京湾横断道路の建設は、1997年12月についに開通の時を迎える。
 路線では国道409号、名称は「東京湾アクアライン」とした渾身の東京湾横断道路は、川崎側のトンネル部を“アクアトンネル”、木更津側の橋梁部を“アクアブリッジ”と称した。また、川崎人工島は供用開始後にトンネルの換気を担う“風の塔”に衣替え。ヨットの帆を模した2つの塔は白と青の縞模様でペイントされ、そのユニークな外観が東京湾の名勝となった。さらに、PAの海ほたるはその景観のよさから人気観光スポットに成長。休日には多くの観光客が訪れることとなった。開通当初こそ高額な通行料のため利用車両は少なかったが、2009年8月からスタートした料金を大幅に引き下げる社会実験により通行量が大幅に増加し、いまや東京・神奈川と房総半島を結ぶ大動脈となっている。