三菱デザイン03 【1969,1970,1971,1972,1973】
シャープでスポーティな新世代造型への脱皮
1960年代における三菱ブランドの乗用車は、エンジニアリング優先の手堅いデザインというイメージが強く、市場でのインパクトはそれほど強くなかった。どうすればユーザーに、とくに若者層にアピールできるデザインが創出できるのか−−。開発陣は市場調査に加えて、海外のカーデザインを意欲的に研究。1970年代に向けた新時代のスタイリングを懸命に摸索した。
カーデザインに対する三菱自工の努力は、1969年12月に発売された新型車に結実する。従来の三菱車とは趣を異にする「コルト・ギャラン」が市場に放たれたのだ。イタリアの名デザイナーであるジョルジエット・ジウジアーロが創案し、それを参考に社内チームによって仕上げたコルト・ギャランのスタイリングは、当時流行の“ダイナウエッジライン”を基調に、長く、広く、そして低いプロポーションで構築される。同時に角型2灯式ヘッドランプや分割タイプのグリル、抑揚をつけたサイドライン、存在感のあるリアビューなど、細部の造形にも工夫を凝らした。
モダンな4ドアセダンのスタイリングに同社初のOHCエンジン(4G30型1289cc/4G31型1499cc)を搭載したコルト・ギャランは、たちまち市場で大人気を集め、発売1カ月で8000台あまりの販売台数を記録する。さらに、前後ウィンドウシールドを寝かせたうえで車高を低くし、リアホイールアーチ前に3本のアクセントをプレスしたセンターピラーレスのハードトップ仕様が追加された1970年には、月産1万台を超えるヒット作に成長した。
市場でコルト・ギャランの人気が高まる一方、開発現場ではさらなるスタイリッシュな高性能モデルの企画を鋭意推し進めた。1969年開催の東京モーターショーに出展したギャランGTX-1の市販化である。
ショーデビューから1年あまりが経過した1970年10月、ギャランGTX-1の市販版で“ヒップアップクーペ”を謳う「ギャランGTO(Grande Tourismo Omologale)」が市場デビューを果たす。グレード展開は4G32型の1597cc直4OHCエンジンを積むMI(100ps)とMII(110ps)、同DOHCエンジンを採用するMR(125ps)の3タイプを用意。
スタイリングはクーペボディをベースに、丸目4灯式ヘッドランプと2分割式メッキグリルを組み合わせたフロントマスク、ボンネット上のエアスクープ、サイドのストライプ、後端を跳ね上げたダックテールに角型4灯式リアランプなどを採用し、アメリカンスペシャルティ風の華やかさを演出した。内装のデザインにも工夫を凝らし、7連の円形メーターを配するインパネがドライバーを囲むように湾曲する様は、航空機のコクピットを彷彿させた。
小型乗用車のデザイン革新を果たす一方で、三菱自工の開発陣は軽自動車のスタイリング刷新にも力を入れる。まず1969年7月には、2代目となるミニカが「ミニカ70」の車名で市場に放たれる。キャッチフレーズは“若い感覚のミニセダン”。スタイリングはテールゲートを備えた2BOXのモノコックボディをベースに、“ウイングフローライン”と称する流麗な造形やブラック基調のマスク、縦長で四角いキュートなリアランプなどで個性を主張した。また、インパネ内に一体となって組み込まれたカーラジオやエアクリーナーケースで色分けされた2種のエンジン(ME24E型=イエロー/2G10型レッド)など、各所に斬新なアレンジを施した点もミニカ'70の特徴だった。
1971年5月には“こしゃくなクーペ”を謳うスペシャルティ軽の「ミニカ・スキッパー」が市場デビューを果たす。ガラスゲートを備えたウエッジの強い2ドアクーペは、ギャランGTO風のフロントマスクやダックテール、サイドストライプ、砲弾型ミラーなどを採用し、従来の軽自動車にはなかったスポーティなルックスに仕立てる。また、有効な後方視界を確保するためにリアエンドに“スクープウィンドウ”を組み込んだ。
小型車から軽自動車に至るまで、矢継ぎ早に新世代デザインに切り替えた1970年代初頭の三菱自工。スタイリングに対する攻めの姿勢は、その後も鋭意続くこととなった。