スタリオン 【1982,1983,1984,1985,1986,1987,1988】

シャープな造形の国際派FRスポーツ



アメリカ市場をターゲットにした新型スポーツ

 三菱自動車がスタリオンの名を持つ、新しいスポーツ&スペシャルティカーを売り出したのは、1982年5月のことである。車名のスタリオン(Starion)とは、星(Star)とアリオン(Arion =ギリシア神話に出て来る勇者ヘラクレスの愛馬の名)を組み合わせた新造語だった。

 1980年代初頭の時代,日本の自動車メーカー各社は、海外進出に力を入れていた。三菱自動車は、すでに1970年にアメリカのクライスラー社と資本提携を締結し、アメリカ市場に食い込んでおり、ライバルを半歩リードしていた。1980年代になると一段の販売台数の増大を狙って、アメリカのユーザーが好む車種を積極投入する。その代表となるのがスタリオンだった。

 スタリオンはアメリカ市場では、クライスラー系のダッジおよびプリマスのブランドで販売され、ダッジ コンクエスト、プリマス コンクエストを名乗った。ちなみに、コンクエスト(Conquest)とは、征服とか占領を意味する英語で、勝利を意味するVictoryとは同義語。アメリカ市場での勝利を目論んだネーミングだったのかもしれない。

シャープな造形。リトラクタブルライト採用

 スタリオンは、同じスポーツ&スペシャルティカーであった三菱Λ(ラムダ)の後継モデルとして位置付けられており、主要なシャシーコンポーネンツはギャラン Λ/エテルナ Λと共用していた。1982年のジュネーブモーターショーでワールドプレミアが行われ、細部を変更して量産モデルとした。スタイリングデザインは三菱自動車の車内スタッフの手によるものとされ、シャープなラインを強調していた。

 フロント部分ではヘッドライトを電動モーター駆動によるリトラクタブル式とし、巨大な衝撃吸収バンパーを採用、さらにバンパー下部に大型のエアダムスポイラーを取り付けるなどで、現代的なスタイリングを形作っている。側面のスタイルは、エア抜きのルーバーを持った太いBピラーを中心に変形菱形をしたドアウィンドウや直角三角形となったリアクォーターウィンドウなどが、スタリオンの個性的なスタイルを生み出している。

豪快なターボパワーで俊足を披露

 ボディタイプは当初、日本市場向けは2ドアノッチバッククーペにリファインする案もあったと言うが、販売台数が期待できないことから、アメリカ市場用と同じ2ドアハッチバッククーペのみの展開とされた。デビュー時のグレードはエンジンの仕様と装備の違いなどにより、4種があった。1982年当時、三菱自動車は「フルラインターボ」の掛け声の下、軽自動車を含むすべてのモデルにターボチャージャー装着車をラインアップすることを目指しており、このスタリオンにも排気量2リッターの直列4気筒SOHC自然吸気型エンジンの他に、ターボチャージャー仕様を用意する。インタークーラーなしで145ps/5500rpm、後に加わったインタークーラー付きで175ps/5500rpmのパワーを可能としていた。

 三菱自動車では、手持ちのエンジンにバリエーションを増やすためにターボチャージャーの装着を行ったのだが、三菱自動車にはもともと大型トラックでターボチャージャーの開発/研究経験があった。その高い技術を小型ガソリンエンジンへと応用したわけだ。乗用車へのターボチャージャー導入に対し、さまざまなノウハウを持っていたわけである。

最終版は2.6リッター+オーバーフェンダー

 世界的にも通用するスペシャルティカーとして華々しくデビューしたスタリオンだったが、商業的には大きな成功を収めたとは言えなかった。年間の国内販売台数が数千台では、とても採算が採れるはずもない。日本市場には5ナンバーサイズという強い括りがあり、日本市場で販売されるモデルには、アメリカ市場向けに使われていた大排気量のエンジンを使うことはできなかったのである。しかし、国内向けと輸出向けで搭載されるエンジンの仕様を変えることは、それだけで生産コストの上昇は不可避となってしまう。そこで、輸出仕様と国内仕様を統合することで、生産に掛かるコストを大幅に減らす試みが行われた。

 1988年4月に、輸出仕様およびアメリカではダッジ/プリマス コンクエストの名で販売されていた仕様に搭載されていた、排気量2555㏄のインタークーラー付きターボチャージャーを装備した直列4気筒SOHC(G54B型、出力175ps/5000rpm)を搭載し、国産車では初めてとなったロープロファイルタイヤを標準で装着、その幅広タイヤをカバーするためにボディー一体型のブリスターフェンダーを装着したモデルを売り出した。つまり、パフォーマンスとルックスを引き上げると同時に、モデルバリエーションを少なくしたわけである。以降、スタリオンシリーズはこの2600GSR-VRのみとなった。

2.6リッター・ターボは爆発的なトルクを披露

 2600GSR-VRは、スタリオンシリーズのトップグレードであったターボの2000GSR-VR(限定モデル)を基本として、エンジンをアメリカ仕様に搭載されていたエンジンに換えたモデルであるだけに、出力こそ2リッターインタークーラーターボエンジンと大きく変わらないが、トルクはさすがに強く、32.0㎏-m/3000rpmを発揮した。2リッターターボ仕様のトルクが26.0㎏-m/3000rpmであることを見れば、その爆発的なトルクは容易に想像できる。トルクは当時の4リッタークラスのエンジンに匹敵するものだった。

 強大なトルクに対応して、トレッドは拡げられ、タイヤは幅広のものが装着された。前後でタイヤのサイズは若干異なっており、前が205/55R16、後ろが225/50R16サイズとなっていた。したがって、スペアタイヤは応急用のスペースセーバー型となっている。インテリアは高級乗用車並みに完備したもので、本革張りの内装もオプション設定されていた。その他、アメリカ仕様車と同様に、エアーコンディショナーやクルーズコントロールなど快適装備は全て標準で備えられる。

高性能が安価で入手できた!

 トランスミッションは4速オートマチックと5速マニュアルが用意されているが、4速オートマチックが多く選ばれたという。駆動方式はフロント縦置きエンジンによる後2輪駆動(FR)で、4輪駆動仕様の設定はなかった。サスペンションは前後ともマクファーソンストラット/コイルスプリングとなる。ブレーキは前後輪ともベンチレーテッドディスク(後輪にはABS機構を持つ)となり、サーボ機構を備える。車重は大型化されたエンジンなどのためマニュアル仕様で1320㎏となった(2000GSR-Ⅲより80kg増大)。価格はMT302万5000円、AT311万5000円となっており、ポルシェ944やBMW M3など同等の性能を持つ輸入車よりは大分お買い得となっていた。
 スタリオンシリーズ(最終的には一車種のみになった)は、1989年12月に生産を中止し、1990年10月にデビューする三菱GTOにスペシャルティカーの道を譲った。

サーキットでもラリーでも活躍。モータースポーツシーンを席巻

 スタリオンはモータースポーツへの参戦が積極的に行われたモデルのひとつだった。アメリカでは耐久レースでの参戦とその戦績が顕著で、1985年に開催の「Longest Day of Nelson Ledges 24時間耐久レース」では、大クラッシュを起こしながらも見事優勝を果たし、話題となった。

 国内では、グループA規定によるツーリングカー選手権に参戦。1985年の全日本ツーリングカー選手権インターTECでデビューしたスタリオンターボは、日本車最高位の4位に輝く。1986年から選手権にフル参戦。デビュー4戦目で初優勝を飾り、メイクスランキング2位に。フル参戦2年目の1987年には開幕2連勝を達成。1988年に撤退するまでに、3度の総合優勝を記録した。一方、ラリーシーンにも挑戦。ランサーEXでターボエンジンを導入していた三菱は4WDの必要性から次期マシンとしてグループBの「スタリオン4WDラリー」を開発するが、市販販路の問題やWRCレギュレーションの変更によりWRC出場計画を断念。スタリオン4WDラリーは悲劇のモデルと言われた。のちに、三菱はグループA参戦のため、スタリオンターボを開発。WRCではなく中近東選手権に挑戦し、グループAクラス3連勝を記録。その年のグループAチャンピオンに輝いている。