トヨタデザイン6 【1970,1971】

個性を主張したスペシャルティ&ラグジュアリーカー

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誰もが魅了された国産初のスペシャルティ

 セミファストバックのカローラやアローラインのコロナなど、大衆車をスポーティなスタイリングに刷新した1960年代後半のトヨタ自動車工業。ユーザーの所有欲を刺激するそのデザイン路線は、1970年代に向けた上級モデルにおいても存分に発揮された。

 トヨタは、1970年12月にアメリカのスペシャルティ造りに範をとったニューモデルの「セリカ」を市場に送り出す。新設計の乗用車用シャシーの上に被せるボディは“ラミナーフローライン”(空気抵抗の少ない層流翼の流線)の機能と美しさを追求して生み出した2ドアクーペで、躍動感あふれる先進的なスタイルを構築する。さらに、ボディと一体に組み込まれた前後バンパーやディープタイプのラジエターグリル、躍動感あふれるくさび形のサイドビューなどで個性を主張した。一方のインテリアは、新設計のハイバックシートや丸型メーターを組み込んだインパネなどでスポーツドライブを支える。また、セリカはアメリカのフォード・マスタングに範を取った外観/内装/エンジン/ミッションなどを自由に選択できるフルチョイスシステムを採用。ユーザーの嗜好に合わせたモデルに仕立てることができた。

クーペの新たな提案。リフトバックの登場

 1973年4月になると、大型バックドアを組み込んだセリカが、「リフトバック(LB)」のサブネームを付けて市場デビューを果たす。大きな開口部を持つリアゲートを設けたのは、市場でのアウトドアレジャーの流行に感化されたことが主要因。荷室の拡大や積載時の利便性を、若者に人気のあるスペシャルティカーに導入しようとしたのだ。

 LBを企画する際、開発陣はセリカ本来の流麗な車両デザインを崩さないように細心の注意を払う。ハッチ式ゲートを備えるリアボディ上部には大きな傾斜をつけ、同時に全体のバランスを考えてボディ長を50mmほど延長。さらに全高を20mm低く、全幅を20mm広げて、ロー&ワイドのスポーティなハッチバックフォルムに仕立てた。開発陣のこだわりはディテールにも及ぶ。フロントグリルは拡大したボディ幅を強調するように横に広くなり、左右のマーカーランプも垂直形状に変更。ホイールアーチの張り出しやリアサイドのラインも一新した。リア部は縦5灯式のコンビネーションランプやガーニッシュ中央に隠されたフタ付き給油口など、斬新なアレンジを施す。肝心のラゲッジは持ち上げ式で使いやすいゲートと広い開口部、奥行きのある荷室空間、後席シートバックの可倒機構などが好評を博した。

セミファストバックを採用したスポーティなセダン

 セリカの発売と同時期の1970年12月、大衆車ユーザーの上級志向に則して開発された2/4ドアセダンの新型車が登場する。車名は竜骨座の名称で未来飛翔や願いを意味する「カリーナ」と名乗った。

 機構面の多くでセリカとの共用化を図ったカリーナは、ロングノーズ&ショートデッキのセミファストバックスタイルを基本に、独特の4灯式ヘッドランプや直線的なサイドビュー、クオーターピラー下からリアフェンダーにかけての抉り、大型の縦置きリアコンビネーションランプなどで精悍なイメージを主張する。内装もスポーティかつ上質なアレンジで構成。居住性に優れたキャビンスペースも大きな特徴だった。

 “足のいいやつ”というキャッチコピーを掲げ、乗り心地やハンドリングの良さを強調したカリーナは、飽きのこないスポーティなスタイリングも加わって、順調に販売成績を伸ばしていく。2代目に切り替わるのは6年8カ月ほどが経過した1977年8月のことだったが、それまでは基本デザインを変えることなく、ディテールの変更や排出ガス対策のみでモデルライフを過ごしたのである。

“スピンドルシェイプ”で話題をさらった4代目クラウン

 1971年2月になると、トヨタの旗艦であるクラウンが全面改良を実施する。そのスタイリングを見て、誰もが驚いた。従来とはまったく違った大胆なデザインだったからだ。

 第4世代となるクラウンの基本スタイリングは、“スピンドルシェイプ”と呼称した。曲面を多用し、ボディ前後端やルーフ部を大きく絞り込んだスピンドル=紡錘形状は、安全性が高く、高速巡航にもなじむフォルムとされ、トヨタは「これからのスタイリングをリードするもの」と主張した。細部のアレンジも凝っていた。ボンネット先端は2段形状で、段の部分にウィンカーを配置。パンパーはボディ同色として下端までをカバーする。フロントとリアの三角窓も廃止していた。

 先進的なデザインとメカニズムを採用してデビューした4代目クラウンだが、販売は苦戦する。スタイリングが個性的すぎて、従来ユーザーに受け入れられなかったのだ。さらにフロントエンドの見切りの悪さやトランクの使いにくさは、とくにタクシー仕様のドライバーからは不評をかった。そこでトヨタは1973年2月にマイナーチェンジを実施する。ウィンカーをグリル脇に移設し、バンパー形状を変更、セダンのトランク部をスクエアなデザインに変えたのだ。それでも販売成績は奮わなかった。

 セールス面では失敗作といわれる4代目だが、その先進的で個性あふれる車両デザインはマニアのあいだで非常に評価が高い。現在では“くじらクラウン”の愛称で、コレクターズアイテムに発展している。高級車デザインにおけるトヨタの挑戦は、ずっと後になって真の評価を獲得したのである。