ランサー・エボリューションIII 【1995,1996】

迫力満点のエクステリアを纏った3代目EVO

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ランエボが人気モデルとなった背景

 2014年3月、日本車の象徴のひとつが生産中止を決定した。三菱ランサー・エボリューションⅩ(通称ランサー・エボⅩ)である。英国で40台のアニバーサリーモデル(ランサー・エボリューションⅩ FQ-440 MR)を限定発売したが、わずか1時間足らずで完売した。日本でも2014年いっぱいで生産・販売を終了する方向という。ランサー・エボⅩは、日本車には珍しく海外市場で名の知られたモデルであった。それは、永年に渉る国際的なラリー・フィールドでの活躍があったからに他ならない。

 三菱自動車が国際的なラリーへ本格的な参戦を開始したのは、1960年代終盤のことだ。マシンはコルト1000Fに多少の改造を施したもの。当時はラリー向けチューンのデータなど一切なく、すべては現場合わせでトライ&エラーの繰り返しであったという。初陣はオーストラリアで開催されていたサザンクロス・ラリー。1967年に初出場ながら、総合4位でクラス優勝の好成績をあげた。「エボⅩ」へ繋がる第一歩であった。その後、三菱自動車はラリーアートというワークスセクションを設立し、国際的なラリーイベントへの参戦を本格化する。

WRCでの勝利を目指してランエボを開発

 WRC(世界ラリー選手権)をはじめとする国際的なラリーは、あくまで実用的な市販車をベースにした競技車両で争われるのが基本である。しかし、絶対的な性能向上のためには、市販車と同じ排気量のエンジンではパワーアップにも限界があることから、1クラス上のセグメントに属するモデルのエンジンを搭載する手法が採られる場合が多かった。ラリーアートでもその例に漏れず、ラリーマシンの主役的存在であったランサーのエンジンを、ギャランVR-4に搭載されていた排気量1997ccの直列4気筒DOHC16Vユニット(4G63型)をベースとし、インタークーラー付きターボチャージャーをリファインするなどしてチューンアップ。250ps/6000rpmの最高出力と31.5kg・m/3000rpmの最大トルクに引き上げたエンジンを搭載したラリー用スペシャルモデルを限定製作する。これがランサー・エボリューションの最初のモデルである。

大幅な出力向上を果たしたエボⅢ

 1995年1月に発売されたランサー・エボリューションⅢは、旧モデルのエボⅡの性能をさらに向上させたモデルだが、型式名はCE9Aのままであった。エンジンも旧型と同様、排気量1997ccの直列4気筒DOHC16Vにインタークーラー付きターボチャージャーを装着(4G63型)。圧縮比を9.0と高くし、ターボチャージャーの過給圧を高めるなどのチューンアップが施され、270ps/6250rpmの最高出力と31.5kg・m/3000rpmの最大トルクを得ている。高圧縮比でのターボ過給圧のアップは種々のトラブルの要因となり、信頼性は多少失われたが、速度やハンドリングの向上はそれを補って余りあるものだった。
 戦闘的なスタイリングに高度なチューニングを施したエンジン--エボⅢは最もエボリューションらしい内容を持つモデルだった。

WRCを席巻したエボIIIの輝かしい戦績

 ランサー・エボリューションIIIは、1995年シーズン途中のツール・ド・コルスにおいてWRC(世界ラリー選手権)への本格デビューを果たす。この大会で早くも総合3位に入り、その後APRC(アジア・パシフィックラリー選手権)を兼ねたWRCオーストラリア・ラリーでは総合優勝を成し遂げた。結果として同シーズンでは、マニュファクチャラーズで2位、ドライバーズで3位(K・エリクソン選手)の好成績をあげる。

 続く1996年シーズンのWRCでは、熟成が進んだエボIIIが大活躍。スウェディッシュ・ラリーやサファリ・サリー、アルゼンチン・ラリー、1000湖ラリー、オーストラリア・ラリーで総合優勝を実現した。その結果、マニュファクチャラーズでは2位、ドライバーズではT・マキネン選手が初のチャンピオンに輝く。ちなみに、APRCでは1995年と1996年に2年連続でマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得。ドライバーズでは1995年にK・エリクソン選手がチャンピオンに、1996年にはR・バーンズ選手が2位に入った。