GT-Rコンセプト 【2001】
21世紀に向けた“スーパーGT-R”の提案
2001年10月に開催された第35回東京モーターショーのプレスカンファレンスにおいて、同年6月より日産自動車の社長兼CEO(最高経営責任者)に就任していたカルロス・ゴーンが驚きのスピーチでコンセプトカーを発表する。「世界的に知られた3つの文字があります。それはG、T、Rです」。
舞台裏からスモークとともに現れたクルマは、「GT-Rコンセプト」を名乗るデザインスタディの参考出品車だった。ゴーンCEOはGT-Rコンセプトの横に立ちながら、その概要を解説する。
「GT-Rはこれまで常に、理想、理屈の境界を超えたクルマでした。そして、今日ここでご紹介する左ハンドル仕様のGT-Rは、さらに国境をも越えようとしています。国際舞台における“究極のロードカー”として、正当なチャレンジャーとなれるように準備を整えているのです。私たちはこのクルマをもって、未来を、そしてドライビングプレジャーの意味を変えていきます」。
このコメントから、次期型GT-Rは従来のような日本専用モデルではなく、国際戦略車となる事実が理解できた。また、スピーチ中に1度も「スカイラインGT-R」と表現しなかったことから、次期型は「GT-R」の単独ネームになることが予想された。
ゴーンCEOのスピーチは、さらに続く。
「次期型GT-Rはまだ開発中ですが、次のことをお約束します。1」GT-Rは生き続けます 2)次期型GT-Rは日本以外の市場も視野に入れています 3)次期型GT-Rは日産が考えるドライビングプレジャーを具現化した究極のモデルであり続けます」。
GT-Rはこれからも開発され、国際戦略車に姿を変え、日産のイメージリーダーの地位に君臨し続けることを、CEO自らが高らかに宣言したのである。
雛壇に上がったGT-Rコンセプトは、従来のスカイラインGT-Rとは明らかに違うデザインコンセプトを採用していた。また、標準モデルのスカイラインのイメージとも、はっきりと一線を画していた。パーツの後づけ感がない、ひとつの塊としてのオリジナリティ性あふれるスタイリング−−そんなムードが漂っていたのである。
エクステリアでまず注目を浴びたのは、その斬新なフロントビューだった。大胆な形状でアレンジしたブラックアウトグリルにフードから流れるような造形に仕立てたヘッドライトベース、さらにボディ下回りのエアロパーツなどが作り出す独特の“顔”は、次世代GT-Rのパワフルさを予感させた。また、アグレッシブな造形の前後フェンダー部や流れるようなルーフライン、レーシングマシンを彷彿させるリア後端のアレンジ、左右2本出しでスクエア形状に仕上げたマフラーエンドなど、随所でスーパースポーツらしい演出が施される。一方、丸型4灯式のリアコンビネーションランプやエンブレムのデザインには、栄光のGT-Rの遺伝子がしっかりと受け継がれていた。
インテリアに関しては、スポーク部とパッド中央部をシルバーで仕上げた3本スポークのステアリングやバケットタイプのフロントシート、ロールバーの機能を施したリア中央のバーなどが目を引く。また、ステアリング位置は左に設定されており、次世代GT-Rがグローバルカーであることを明確に表現していた。
GT-Rコンセプトは第35回東京モーターショーでワールドプレミアを果たして以後、2002年1月開催の北米国際自動車ショー(NAIAS)や同年3月開催のジュネーブ・ショーにも出品され、欧米の自動車業界関係者やクルマ好きから大注目を浴びる。
2003年に入ると、次期型GT-Rの基本コンセプトが決定されて開発が本格的にスタート。同年10月開催の第37回東京モーターショーでは、ゴーンCEOが「新型GT-Rの発表と発売は2007年秋に行う予定」とアナウンスした。
その後は、2005年10月開催の第39回東京モーターショーにおいてデザインスタディの「GT-R PROTO」が登場。2007年9月には車名が「日産GT-R」となることが公表され、同時に先行予約の受付も始まる。そして、同年10月開催の第40回東京モーターショーで市販版を公開し、12月からR35の型式を付けたGT-Rの販売を開始したのである。R35型の日産GT-RはそれまでのGT-Rの伝統を継承しながら、世界に誇るスーパースポーツとして圧倒的なパフォーマンスを実現していた。GT-Rは日産だけでなく、日本の自動車作りを象徴するメモリアルカーに成長したのだ。