フィガロ 【1991】

ちょっぴり懐かしい新感覚パイクカー

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フィガロはネオクラシックを標榜

 1989年の第28回東京モーターショーに、日産はパイクカーと呼ばれる一連のコンセプトカーの発展型である「フィガロ」を展示した。それはマーチ・ターボのシャシーコンポーネンツを流用していたものの、1950年代のクラシックカーをイメージした、いわばネオクラシックカーとも言えるモデルだった。

 日産のパイクカーは、「フィガロ」だけでなく、「Be‐1」、「エスカルゴ」「パオ」がある。いずれもモーターショーではコンセプトカーとして展示された後に、限定生産スペシャルモデルとして実際に市販に移されている。当然、このフィガロにも市販化への期待が寄せられた。そして、1年半の時間を経て、1991年2月に市販が開始された。販売限定数は2万台だった。

パイクカーは新研究開発部門の産物

 日産がBe-1に始まるコンセプトモデルで提唱していたパイクカーは、日産の新たな研究開発チームの産物だった。1986年半ば、当時の日産自動車の研究開発部門の中に新しく設けられた「技術車両設計部」という平凡なネーミングの部署が生みの親だ。技術車両設計部は未来を予測し、先進的な設計やデザインを行う部署であった。きわめて先端的な研究開発を行うことから、パイク(Pike=尖ったもの、槍の先端などの意味)車両開発部などと呼ばれるようになったのだという。このセクションは、未来的な試作車だけではなく、サーキットレースやラリーなどに出場するマシンなどモータースポーツに関する車両の開発も行ったという。

 コンセプトモデルとして誕生した初代のパイクカー、Be-1は、総生産台数5000台前後、月産400台,程度を予定していたものの、市場の反響は予想をはるかに上回り、急きょ増産を決めるほどだった。パイクカーに大きなマーケットがあることを知った日産は、続いてパオとエスカルゴ、そしてフィガロと矢継ぎ早にパイクカーを市場に送り出すことになる。

パステル調カラーとルーフがお洒落の源泉

 日産フィガロは、他のパイクカーと同じく、ベース車はリッターカーであるマーチで、特にフィガロではターボチャージャーを装備したマーチ・ターボをベースとしている。スチール製のボディは、1950年代のヨーロッパ、特にフランスのメーカー、たとえばプジョー203などの小型車を彷彿させるもので、曲面を多用したパネルは、前後共に丸味を帯びた対称形。パステル調の淡いボディカラーと白いルーフのコントラストがお洒落だった。

 ソフトトップは、フランスで言う「フォ・カブリオレ(Faux Cabriolet)」のスタイルで、ルーフの中央部分のキャンバス部分だけを手動で折り畳むことができる。下ろしたトップは後部のスペースに手際よく仕舞い込まれ、後方視界の妨げになることは無い。トップの上げ下げは手動だが、操作性を吟味していたので女性でも開閉に困ることはなかった。インテリアも旧き良き時代を思い起こさせるデザインを採用。ステアリングやメーター類、ラジオの形状、インスイツルメンツパネルの色とスタイルは、1950年代調にデザインされているという凝りに凝ったもの。シートは上質な本革仕様が標準装備された。

エンジンはトルクフルなターボ仕様

 エンジンはマーチ・ターボと同じ水冷直列4気筒SOHCの987ccで、これにターボチャージャーを一基装備し、圧縮比8.0と電子制御燃料噴射装置により、76ps/6000rpmの最高出力と10.8kg・m/4400rpmの最大トルクを得ている。ソフトトップやボディ構造の強化などで重量は増え、車重は810㎏となっている。標準型マーチが700㎏前後だから、およそ100㎏も重くなっていた。フィガロはとくにスポーティな走りを求められたクルマではなかったが、増大した車重に対応するにはターボチャージャーの装備が最善だった。

 トランスミッションは3速オートマチック仕様のみの設定となる。駆動方式はFF。ステアリングはパワーアシスト付きのラック&ピニオン型。サスペンションは前がストラット/コイルスプリング、後が4リンク/コイルスプリングで、スタビライザーは前輪に装備される。ブレーキは、前がベンチレーテッドディスク、後がドラムブレーキとなる。タイヤは165/70R12サイズで、軽自動車並みに小径だが、フィガロのスタイリングには似合っている。

イギリスでも人気を博した国際派!?

 価格は182万円と2リッタークラスのクルマに匹敵し、このクラスの小型車にしては決して安価と言うわけではない。しかし最初から経済効果ばかりでフィガロの購入を検討するのはパイクカーの本質にそぐわないことだった。フィガロのような個性的なクルマを乗ろうとするなら、この価格はお遊びと割り切るべき。そうでなければ、パイクカーの本質的な魅力は理解できない。

 余談だが、当時英国に「フィガロUK」と言うフィガロ専門の中古車販売店が設立されて、日本から輸入したフィガロを売っていたことがあった。それが大きな反響を呼び、英国でフィガロは一時若者のアイドル的な存在になった。英国人たちはこのクルマの楽しみ方を即座に理解したものと見える。