サーブ96 【1960〜1980】

“SAAB”のブランドを世界中に印象づけた個性派サルーン

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平和産業への転換の一環として自動車分野へ進出

 連合国の勝利という第2次世界大戦の戦局が見え始めた1944年ごろの欧州。この情勢に対してスウェーデンを代表する航空機メーカーのサーブ=SAAB(Svenska Aeroplan AB/スウェーデン航空機株式会社)は、軍用機需要の低迷を想定した経営戦略を打ち出した。航空機の分野では民間用の小型旅客機や軽飛行機の開発を推進。さらに、新事業として自動車分野への参入も計画した。

 1945年に経営方針を決める重役会議で自動車産業への進出が正式決定すると、早速サーブ内に自動車部門が設けられる。ここでの最初の仕事は、サーブにとって未知の製品である乗用車の開発だった。中心的な役割を担ったのは王立工科大学出身で自動車設計の経験をもつ社内エンジニアのグンナー・ユングストロームで、企画自体は小型双発コミューターのタイプ90スカンディア、軽飛行機のタイプ91サファイアに続く民間製品ということで「タイプ92」プロジェクトと称された。

水滴形フォルムを特長とする乗用車を開発

 ユングストロームは未知の乗用車の車両デザインについて、工業デザイナーのシクステン・セゾンに依頼する。セゾンは航空機の設計でもサーブに参画していたが、新規の乗用車についてもデザインを受け持つこととなったのだ。ちなみにセゾンは、後にカメラのハッセルブラッドやモーターサイクルのハスクバーナ、スクーターのモナークなどのデザインも手がけている。

 新しい乗用車の造形を生み出すに当たり、セゾンは空気抵抗の少ない曲線基調のラインでまとめることを創案する。ウィンドスクリーンに強い傾斜をもたせ、それに続くルーフ部はなだらかな弧を描くラインで構成。そのうえで、サイドビューは翼断面の形状で仕立てた。エクステリア全体を水滴形フォルムでまとめた斬新なアレンジは、空力特性を重視する航空機メーカーの思想が色濃く反映された造形といえた。

 斬新なスタイリングを具現化するボディ構造には、当時としては先進的なモノコックレイアウトが採用される。車両重量が軽く収まり、十分な剛性も確保でき、しかもフロアをフラットかつ低く抑えることができる−−そうしたメリットを重視したのだ。また、開発陣は航空機を企画する際の例に倣って風洞実験用の1/10スケールモデルも製作する。試行錯誤の末に得られたCd値(空気抵抗係数)は0.32。当時の一般的な乗用車が0.40台後半から0.50付近だったことを踏まえると、いかに空力特性に優れた車両デザインだったが窺い知れるだろう。

駆動方式はFF。1949年に「92」の名で正式デビュー

 先進のエアロボディを走らせる動力源については、軽量でコンパクトな2ストローク2気筒エンジンの導入が決定され、排気量は最終的に764ccに設定する。また、パッケージ効率を高める目的でエンジンの搭載位置と駆動輪を同じ場所に設けたかった開発陣は、FFとRRのレイアウトを検討。結果的には、スウェーデンの冬の道である凍結路や積雪路でも有効なトラクションと制動力を確保できるFF方式の採用を決めた。

 最初の試作車である92001は1946年夏に完成。翌1947年には進化版プロトタイプの92002/92003を製作し、マスコミにも公開した。その後も徹底したテストと改良を繰り返した開発陣。懸命の努力が実ったのは1949年で、この年に量産化が正式決定し、発表会も開催する。そして翌'50年1月になって、ついにサーブ92の販売をスタートさせた。

 ようやく同社初の乗用車の市販化にこぎつけたユングストローム率いる開発陣。しかし、その後も研究開発の手を休めることはなく、より完成度の高い乗用車目指して汗を流した。1952年秋にはマイナーチェンジを行って92Bに移行。リアウィンドウの拡大による後方視界の改善やトランクリッドの設定、燃料タンク位置の変更(リアエンド→トランクフロア下)などを実施する。1955年12月になるとニューモデルの93を発表し、748cc・2ストローク3気筒エンジンへの換装および縦置き化や懸架機構の刷新(前ダブルリーディングアーム→ウィッシュボーン/後L字型トレーリングアーム→U字型ビームアクスル)、ホイールベースの延長、トレッドの拡大、内外装の近代化などが注目を集めた。93は1958年モデルになると93Bに切り替わり、ウィンドスクリーンの1枚化やターンシグナルランプの新設などを行う。また同年4月には、93ベースの高性能モデルとなるGT750を発表した。さらに1959年5月になるとワゴンボディを採用したエステートカーの95をリリースし、さらに同年秋には前(Front)ヒンジ式ドアを導入した93Fを市場に放った。

完成度を高めた熟成モデル「96」の登場

 市場の要請を見ながら、様々なアイデアを駆使して乗用車を改良していったサーブの開発陣。その創意工夫は、1960年2月デビューのニューモデルによってさらなる高みに達する。第1世代乗用車92の最終進化形となるサーブ96が市場デビューを果たしたのだ。

 96のボディは従来の水滴形モノコック構造を踏襲しながら、リアウィンドウおよびリアクオーターウィンドウを拡大して後方視界を改善する。同時に後席部のヘッドルームやシート幅の拡大も行った。また、外装のディテールやインパネデザインも変更し、1960年代の乗用車に相応しい仕様に仕立てる。シャシーについては93用の前ウィッシュボーン/後U字型ビームアクスルをベースに、車重の増加やエンジンのパワーアップに則して専用セッティングを敢行し、乗り心地と走行安定性の向上を実現する。搭載エンジンは841cc・2ストローク3気筒を採用し、最高出力は38hp/4250rpm、最大トルクは8.0kg・m/3000rpmを発揮。トランスミッションには3速MTを組み合わせた。

排出ガス対策を踏まえV4エンジンに換装

 96は1962年モデルになると、輸出向けのトランスミッションに待望の4速MTを採用する(2年後には本国仕様にも設定)。また、制動機構には信頼性の高いツインサーキットシステムを導入した。1963年モデルではエンブレムのデザイン変更および移設(フロントグリル内)を実施。1965年モデルではラジエター搭載位置をエンジン背後から前部に移動し、それに合わせてフロント回りのデザインを手直しする。さらに、エンジン自体は吸排気系の改良などによって最高出力が40hpにまでアップした。ほかにも、クラッチ作動の油圧化やドライブシャフト・ジョイントの見直しによる回転半径の縮小などを実施する。1966年モデルになると、トリプルキャブレターの採用などによって最高出力が42hpにまで向上した。

 1960年代中盤に入ると、開発現場では次世代モデルとなる99の企画が本格的に推し進められるようになる。ただし、その完成までにはしばしの時間が必要とされた。そこで開発陣は、96の大幅な近代化を画策する。中心となったのは動力源の刷新で、世界的に厳しさを増す排出ガス規制に対応するため、4ストロークエンジンの採用を決定した。当初は4ストロークエンジンの自社設計も検討したが、99の開発の最中では資金も人員も足りない。苦肉の策として実施したのが、他社製4ストロークエンジンの流用だった。96のエンジンルームに収まる最適なパワーユニットは−−。様々な候補のなかから開発陣が選んだのは、独フォードのタウナス12Mが採用する1498cc・4ストロークV型4気筒OHVユニットだった。

 独フォードとエンジン供給の契約を交わしたサーブは、1967年モデルから96にV4エンジンを採用する。車名については96V4に切り替えた(1968年まで継続販売した2ストローク版は96のまま)。嵩のあるV4エンジンを積み込むに当たり、開発陣はエンジンルーム内の造形を変更する。また、車両重量の増加に則して制動機構にフロント・ディスクブレーキを組み込んだ。

総生産台数54万7221台。サーブのレジェンドとなった名車

 サーブは1967年11月になると新世代サルーンの99を発表し、翌1968年秋から販売を開始する。ここで車歴が途絶えるかに見えた96V4。しかし、99が上級モデルに移行していたため、96V4はベーシックモデルとして存続することとなった。しかも、サーブの開発陣は96V4の進化の歩みを止めず、時代の要求に則した内外装のリファインや安全対策の強化などを鋭意実施していく。1969年にスカニア−バビスと合併してサーブ・スカニアABと組織変更してから最初に発売した1970年モデルでは、インパネ造形の刷新や後席シートバックへの可倒機構の導入などを敢行。1971年モデルでは他車に先駆けてヘッドランプウォッシャーおよびワイパーを装備する。また、アメリカ仕様では排出ガス規制によるパワーダウンを回避するために1698cc・V4エンジンを採用した。1972年モデルになるとオーバーライダーのゴム化やシートヒーターの採用などを実施。1974年モデルでは、99に準じたフロントマスクの変更を行った。

 その後も内外装の近代化や安全対策の強化などを図っていった96V4は、最終的に1980年まで生産が続けられる。20年の長きに渡ってファクトリーから送り出された96の累計台数は、54万7221台にのぼった。そのうちの1台となる1979年型の96V4は、日本に渡り、当博物館の名誉館長であるモータージャーナリストの川上完氏(2014年5月に急逝)の愛車となった。業界屈指のカーマニアを魅了した名車中の名車−−それが96というクルマの本質なのだ。