ヴィヴィオ 【1992,1993,1994,1995,1996,1997,1998】
レックスの後継を担うドライバーズ・ミニセダン
海外市場への進出の遅れや国内販売の低迷など、バブル景気の最中にもかかわらず経営危機に陥っていた1980年代末のSUBARU(当時は富士重工業)。しかし、旧来のレオーネから移行した新世代乗用車のレガシィが市場での高い注目を集め、またレガシィのワンクラス下に位置する小型車(後のインプレッサ)の開発が順調に進むなど、光明は見えていた。そして、富士重工のスタッフは「経営再建を達成するには、軽自動車のカテゴリーでも刷新が必要」と判断し、既存のレックスを大胆にモデルチェンジする案を打ち出す。
新路線の軽自動車を企画するに当たり、開発陣は既存の軽自動車にはなかった“質の高さ”を重視する。シャシーは前後ストラットの4輪独立懸架を採用。ホイールベースも従来比で15mmほど延長(2310mm)し、新規格の軽自動車枠のなかで目一杯のフロアスペースを確保する。スタイリングにも工夫を凝らし、曲線を生かした張りのある面構成で外装を構築した。また、ボディの材質や組み付け工程も見直し、従来以上の高い剛性と耐久性を確保する。室内に関しては、税制の改定などで商用仕様(軽ボンネットバン)の隆盛が去り、荷室スペースの制約を受けずに済んだことから、前席(とくにドライバーズエリア)を中心に各部をアレンジ。さらに、樹脂材の質感向上やインパネおよびドアトリムのデザイン一新を図り、小型車に匹敵する居住空間を創出した。
搭載エンジンについては、乗用モデルの全車に電子制御マルチポイント燃料噴射(EMPi)を組み込んだ直列4気筒の“クローバー4”EN07型系(排気量658cc)が採用される。スポーツモデルには4バルブDOHC機構とスーパーチャージャーを備えた仕様(64ps/9.0kg・m)を設定。また、OHC+スーパーチャージャー仕様(64ps/8.6kg・m)も用意された。自然吸気版はOHCのみで、MT仕様が52ps/5.5kg・m、ECVT仕様が48ps/5.6kg・mのパワー&トルクを発生する。駆動機構に関しては、FF/ビスカス式フルタイム4WD/パートタイム4WDの3タイプがラインアップされた。
新世代軽自動車は、1992年3月に“ヴィヴィオ”の車名を冠して市場に送り出される。車種構成は乗用モデルの3ドア/5ドアセダンと商用仕様の3ドアバンが基本。メイン車種はセダンで、DOHCエンジンを積むスポーツグレードのRX-Rを筆頭に、豊富なバリエーションを展開した。
ヴィヴィオは“シンプル・リッチ”のキャッチフレーズが示すとおり、質感の高い軽自動車として市場での大きな注目を集める。また、CHAGE&ASUKAが挿入歌を担当する広告映像でも好評を博した。売上成績も伸長し、1992年度の軽乗用車販売台数は前年比で14%の大幅アップを記録する。
軽自動車市場でのシェアをさらに高めようと、メーカーはヴィヴィオの魅力を引き上げる戦略を相次いで実現していく。その中でとくに話題を集めたのが、スペシャルモデルの設定だった。
1993年2月には、競技専用モデルの「RX-RA」がリリースされる。ボディの軽量化と各部の補強、さらに足回りやギア比の専用セッティングなどが実施されたRX-RAは、全日本ラリーのAクラスなどで大活躍した。同年5月なると、富士重工40周年記念限定車(3000台)として「T-top」が発表される。センターピラーを残したユニークなスタイルのタルガトップ車は、“軽自動車ながら4人が乗れるオープンカー”として注目を集めた。翌1994年2月には、スーパーチャージャー付きエンジンを搭載したT-top仕様の「GX-T」が1000台限定で登場する。それまでホンダ・ビートやスズキ・カプチーノといった2シーターの軽オープンスポーツは存在したものの、4シーターの速い軽オープンカーは初の試みで、これまたマニアックな人気を獲得した。
スペシャルモデルの追加は、さらに続く。1995年11月には、その後のレトロカー・ブームの礎を築いた「ビストロ」を発売。メッキタイプのグリルやバンパー、丸型2灯式ヘッドライト、専用内装地などを装備した個性的なビストロは、やがてシリーズの主力車種に成長していった。
スペシャルモデルを積極的にリリースする一方、開発陣はヴィヴィオ本体の改良も鋭意、行っていく。市場デビューから1年ごと(月は9〜10月)、計5回に渡ってマイナーチェンジを繰り返し、完成度のアップと新鮮味の維持を実施した。