名勝負/1969日本GP 【1969】
日産、トヨタ、ポルシェの3強が演じた世紀の激闘
1969年の日本グランプリは、日産、トヨタ、そしてポルシェという三大ワークスチームが大排気量マシンで激突した歴史に残るレースだった。前年の日本グランプリをR381で制覇した日産チームは、1969年は進化版R382で挑戦する。
R382は新開発のV型12気筒エンジンを搭載したマシンで、エントリー当初は5.0Lと噂されていたが、10月9日の予選に現れたマシンの排気量は6.0リッター。最高出力650psを豪語し圧倒的な高性能を誇った。3台用意されたR382はカーナンバー20が前年優勝の北野元&横山達選手組、エースナンバーの23は高橋国光&都平健二選手組、そしてカーナンバー21を黒沢元治&砂子義一選手組がドライブする。
トヨタは悲願の日本グランプリ優勝を目指し早い時期から準備に入っていた。参戦マシンのトヨタ7は前年までの3.0LからV型8気筒の5.0リッターを積む新型となり、日本グランプリ前に足慣らしとして出場した7月の「全日本富士1000kmレース」と8月の「NETスピードカップ・レース」に2連勝。富士スピードウェイで積極的な走り込み練習を行うなど万全の体制を整えていた。エントリーは5台でカーナンバー3の川合稔&鮒子田寛選手組などの日本選手に加え、助っ人としてポルシェ遣いとして有名なヴィック・エルフォード選手を招聘。カーナンバー7のマシンを委ねた。
ポルシェも最強の布陣で臨んだ。プライベーターのタキ・レーシングが画策した“台風の目”で、ポルシェ・ワークスチームが当時の最強マシン、917を提供。「ポルシェに乗せたら右に出るものはいない」と言われたジョー・シェファートがドライブする。917のサポート役として908スパイダーも加え、日産、トヨタを追いつめる作戦だった。
富士スピードウェイを120周/720kmで戦う日本グランプリは、10月9日の公式予選で幕を開けた。気を吐いたのは日産勢。大排気量に物を言わせて、まず午前のセクションで黒沢選手が1分44秒88のベストラップをマーク。高橋選手が1分45秒54、北野選手も1分45秒54の好タイムだ。午後になるとさらにペースが上がる。北野選手は1分44秒77までタイムを縮め、見事にポールポジションを獲得。2位は午前のタイムの黒沢選手。3位には午後に1分45秒11と僅かにタイムを刻んだ高橋選手が入った。
トヨタ7勢は、久木留選手が1分48秒25をマークして4位、その後方に川合選手(1分48秒90)とエルフォード選手(1分48秒90)が続いた。注目のジョー・シェファート選手のポルシェ917は日本へのマシン到着が遅れ、ほとんどぶっつけ本番。マシンの調整が万全ではないが、それでも1分49秒06を叩き出し予選7位を確保した。
決勝レースは10月10日の午前11時10分にスタートを切った。レースは前述のように720kmと長い。マシン自体の信頼性とともに、ドライバー交代を行うのか、1回の燃料補給で走り切れるのか、タイヤの摩耗は大丈夫かなど、ピットの戦略も勝利を左右する要素となった。レースはまさに魔物。最後にレースの女神が微笑むのは日産かトヨタか、はたまたポルシェなのか、予想はまったくつかない。
スタートはシェファート選手のポルシェ917と、エルフォード選手、川合選手のトヨタ7が素早いダッシュを見せた。意外なことに予選上位の日産勢は揃って遅れた。これには理由があった。R382はクラッチが弱点だったのだ。6.0Lユニットの大パワーをフルに受け止めるにはキャパシティが不足ぎみで、鋭いスタートダッシュのため高回転でクラッチを繋ぐと一気にトラブルに見舞われる可能性があった。そのためR382勢はアイドリングよりやや上の2000rpm前後でクラッチをミート。マシンを庇って意識的にスローなスタートを切ったのである。
30度バンクにはポルシェ917がトップで飛び込み、2番手が川合選手のトヨタ7。川合選手は30度バンクの後半でポルシェを果敢に抜き去り、1位でグランドスタンド前に帰ってきた。しかしさすがは最強マシンのポルシェ917とシェファート選手の組み合わせ。3周目のヘアピンで川合選手の内側に飛び込み、トップを奪い返す。
日産勢の速さが際立ってきたのは6周目。カーナンバー23、高橋選手の青いR382がヘアピンでポルシェ917を捉えトップに立ったのだ。12周目までには黒沢選手、北野選手もポルシェ917をかわしR382の3台がトップグループを形勢する。
ドラマが起こったのは31周目。高橋選手のR382が突如ピットインしてきたのだ。原因は燃料噴射ポンプのトラブル。原因の究明に手間取り4分ほどピットに張り付き下位に沈む。先頭は黒沢選手、2位が北野選手のR382。3位は川合選手のトヨタ7、シェファート選手のポルシェ917は4位を走行している。40周目にポルシェ917がピットイン。左前輪を交換しドライバーもバイパー選手に交代した。シェファート選手に替わったデビッド・バイパー選手も超一流のポルシェ遣いだった。しかし富士は苦手コースだったようだ。ラップタイムは2分02秒台に下がり、格下のポルシェ908スパイダーよりも7秒ほど遅くなってしまった。
一方、トップの黒沢選手と北野選手は絶好調。ともに1分40秒台後半でラップを重ねる。結局、レースは黒沢選手のR382が制覇する。途中燃料補給は1回だけで、しかもタイヤは無交換。720kmを黒沢選手一人で走り切った。2位は北野選手。3位は1周遅れで川合選手のトヨタ7。期待のポルシェ917は4位に終わった。結果的には序盤でトップに立った黒沢選手のR382が安定した速さを見せつて逃げ切った展開だったが、レースがあと5周長かったら結果は分からなかった。優勝したカーナンバー21のR382のガソリンタンクに残っていた燃料は10L以下。左後輪のタイヤは摩耗しきってカーカスが覗き、いつバーストしてもおかしくない状況だったのだ。実態は薄氷の勝利だったのである。