スカイラインGT-R 【1999,2000,2001,2002】

究極のドライビングプレジャーを追求した世界に誇る駿馬

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世界初の先進エアロシステムを採用したR34

 1989年に復活したスカイラインGT-R(R32型)は、1995年のR33型を経て、1999年1月に3代目のR34型に進化する。R34型GT-Rは、ボディサイズの拡大でスポーツ性が若干低下したR33型の反省を踏まえ全長を70mm、ホイールベースを55mm切り詰め基本ディメンションを改善していた。さらにVスペックには前後のアンダーフロアにディフューザーを備えたアドバンスエアロプログラムを採用する。アドバンスエアロプログラムは車体下面の空気を整流しベンチュリー効果によりダウンフォースを確保する機構。従来のスポイラーが空気抵抗の増加と引き換えにダウンフォースを得ていたのとは異なり、空気の流れそのものを総合コントロールすることでダウンフォースを得る先進のシステムだった。レースシーンでの経験を生かしたもので、量産車での本格採用はR34型GT-Rが世界初だった。

 高度な走りを支えるメカニズムは、一段と熟成を図っていた。2568ccの排気量を持つRB26DETT型はトルク特性が見直され、280ps/6800rpmの最高出力ははそのままに最大トルクをR33型比2.5kg・mアップの40kg・m/4400rpmにリファイン。新開発ツインボールベアリングセラミックターボ(ギャレット製C100-GT25型)によりレスポンスも一段とシャープに改善した。トランスミッションがゲトラグ社製6速タイプになり、フルにエンジンパワーを引き出しやすくなったことも朗報だった。駆動システムは、全車が電子制御トルクスプリット式4WDで、標準仕様がアテーサE-TS、VスペックはアクティブLSDを組み合わせ、より緻密に制御するアテーサE-TSプロだった。

“最強のボディ”が新たなGT-Rの走りを創造

 R34型GT-Rは開発コンセプトに「究極のドライビングプレジャーの追求」を掲げた。実はこれは復活したR32型から一貫したテーマだった。GT-Rは、日本車には珍しい“進化するスポーツカー”だったのである。開発陣は代を重ねるごとにGT-Rのドライビングプレジャーを高めたが、R34型はその完成形に位置づけられた。ドライビングプレジャーを構成する究極の要素は「止まる」、「曲がる」、「走る」の3点である。R32型はブレンボ製ブレーキを装着したVスペックを投入することで「止まる」を突き詰めた。続くR33型では意のままのハンドリング実現のため、アテーサT-TSプロで「曲がる」性能に磨きを掛ける。R34型が追求したのは、言うまでもなく「走る」ための機能だった。

 もともと世界トップの水準にあるGT-Rの走りをさらに一段とレベルアップするためにR34型が追求したもの、それは最強のボディだった。ボディを強固にすることで「止まる」、「曲がる」を含め走りの実力をトータルで高次元に導いたのである。最強のボディはサスペンションのジオメトリーを一段と理想的なものにした。R34型は4本のタイヤがつねに路面にきちんと接地することでステアリングのコントロール性、そしてブレーキ性能が一段と向上していた。

 具体的にR34型でリファインしたのは走行時のボディの変形である。つまり“動剛性”に着目し徹底的に強靱なボディに鍛え上げたのだ。一般的にボディの補強はテストドライバーの感覚を頼りにトライ&エラーで補強を加えていくが、R34型ではMRS(マルチロードシミュレター)という実験装置を開発。台上で上下・左右・回転方向の入力を加えることでボディの変形を計測し、補強を加えていった。さらに最終的に実際の走行で感じたテストドライバーの声を採り入れリファインした。人間の感覚はコンピューター以上で、数値上は問題なくても走行テストで違和感が出て、補強を加えた部位は少なくなかったという。

徹底した軽量化ももうひとつの注目点

 ボディは強靱さとともに軽さも徹底的に追及された。衝突安全基準の規制強化もあって、計算上ではR34型はR33型より93kg(Vスペック比較)も重くなることが分かっていたからである。いくらボディを強化しても93kgも重量が増加したらドライビングプレジャー低下は避けることができない。R34型ではアルミホイールをはじめ、バッテリーの小型化、スピーカー重量低減に至るまで、グラム単位で贅肉を徹底的に落とすシェイプアップを敢行し、標準仕様で10kg、Vスペックでも20kgの車両増加に留めた。軽量化と同時に前後重量配分の適性化を図ったのもポイントだった。

 デビューしたR34型GT-Rは、開発者が目指したとおり究極のドライビングプレジャーを披露する。絶対的な速さはもちろん、コーナリング性能や高速走行時の卓越したスタビリティを含め間違いなく世界の超一級品だった。日産がスカイラインGT-Rを、スカイラインの枠組みから独立させ、日産を象徴するワールドワイドなスーパースポーツに進化させることを決意させたのは、R34型GT-Rの走りが本物だったからである。

発表日に完売となった最終限定車

 R34型GT-Rは厳しさを増す排気ガス規制への対応が難しいこともあり2002年8月に生産を終了する。その最後を飾ったのが1000台の限定モデル、「Mスペック・ニュル」と「Vスペック・ニュル」である。Mスペック・ニュルが630万円、Vスペック・ニュルは610万円という高価格車ながら、発表日に即日完売となり大きな話題となった。

R34型GT-Rを締めくくるモデルに“ニュル=Nur”、すなわちドイツのニュルブルクリンク・サーキットの名称を掲げたことに対し、開発陣はGT-R作りに携わった全員が持つ「サンクスforニュルブルクリンク」の気持ちを込めた結果と説明した。R32型GT-Rはニュルブルクリンク・サーキットの過酷な最終テストで鍛え、生粋の駿馬となった日本初のクルマだった。そしてR33型、R34型(そして最新のR35型)も、最終テストの場にニュルブルクリンク・サーキットを選んでいる。ポルシェをはじめ世界のスーパースポーツを鍛えたニュルブルクリンクは、GT-Rにとっても特別な場所なのだ。開発陣は「GT-Rは、エンジニア、デザイナー、テストドライバー、そして生産現場のスタッフまで、関わるすべての人が“最強の走り”という同じベクトルを目指したからこそ完成した名車、その象徴がニュルブルクリンクだったのです」と思いを語ってくれた。開発陣の熱い想いは、ユーザーも同様だった。だからこそ僅か1日で“ニュル”は完売したのである。ちなみに特別仕様の“ニュル”はN1レース仕様をベースに各部を調律したエンジンを搭載し、300km/hフルスケールメーターが採用されていた。