フロンテFG 【1984,1985,1986,1987,1988】

内外観の完成度を高めた6代目

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1962年に登場した初代にあたる
スズライト・フロンテから22年。
スズキは6代目となるフロンテをデビューさせる。
5代目と同じくバンモデルであるアルトを伴い、
乗用車登録モデルとしての位置付けを踏襲。
多くのユーザーに対してアピールする
クリーンなイメージの外観を纏って登場した。
軽市場の牽引役のスズキ

 日本独特の規格である軽自動車のパイオニアであった「スズライトSS」を1955年に発売したという、古い歴史を持つ鈴木自動車(現・スズキ株式会社)は、以後ほとんど軽自動車一筋にモデル展開を進めたと言ってよい。

軽自動車初の本格的なオフロード向けの4WDである「ジムニー」(1970年発売)や1979年当時で47万円という低価格で注目され、爆発的な人気を獲得した「アルト」、あるいはイタリアンカロツェリアの奇才、G・ジウジアーロのデザインを基にしたスポーツクーペ「フロンテ・クーペ」(1971年発売)など、常に軽自動車のマーケットの牽引役を果たしていたものである。

中核モデルの発展

 その鈴木自動車が、中核となるフロンテ・シリーズの実用的な4ドア+ハッチバックの4人乗りのセダンとして1984年に発表したモデルが「スズキ・フロンテFG」だ。

1980年代半ばの当時、クルマは省燃費や安全性の向上などよりも、快適性と豪華さ、さらに絶対的な性能の高さを競っていた。軽自動車といえども、そうした流行とは無縁というわけにはいかなかった。エンジンの排気量が550ccに拡大されたとは言っても、性能はそれほど高くはない軽自動車は、販売台数も飛躍的な拡大は望めなかったのである。

女性ターゲットへの訴求

 そこで鈴木自動車では、新型の「フロンテFG」のユーザーターゲットを絞り込むことで、販売の安定化を図ろうとする。ターゲットになったのは、20歳代から30歳代の若い女性たちだった。

6ライトの4ドア+ハッチバックのスタイリングは、商業車であるバンなどとは異なるもので、乗用車らしいソフトな外観とされた。ちなみに、同じく発表された兄弟車である「アルト」では、商業車登録となり、装備も思い切り簡素化されていた。4人乗りを前提とした「フロンテFG」では、室内の広さが重要だったから、内装デザインの変更などで室内の長さ、幅、高さは旧型より数センチずつ大きくなっていた。

軽自動車の限られたサイズで、室内スペースの数センチ拡大はきわめて大きな意味を持つ。そのほか、女性向けとして、乗降に際してドライバーズシートが右側に30度回転する機構が付けられた。服装によっては乗降の大いなる助けとなるアイデアである。また、前席のシートリフター、チルトステアリングなども装備され、ヘッドレストを外してフルリクラインすることにより、後席の座面とつながってフルフラットにもできた。

さらに、フルオートマチックエアコンディショナーがオプション設定されるなど、装備の面では2.0リッタークラスの乗用車にも引けを取らないほどの充実した装備が奢られる。

 搭載されるエンジンは、排気量543ccの水冷直列3気筒SOHCで、出力は31ps/6000rpm、最大トルク4.4kg-m/4000rpmと控えめなものだったが、実用上は十分な性能を持つものだった。駆動方式はフロントエンジン、フロントドライブであり、室内スペースの拡大にも貢献している。

 これだけの充実した装備を持ちながら、価格は最高グレードの「フロンテFG」でも79万5000円で、十分にお買い得な価格設定だ。軽自動車の可能性への大きな挑戦であった。

COLUMN
Kカーのハイパワー競争が激化していく
6代目フロンテとともにデビューした2代目アルトは、軽ボンバンというジャンルを切り開いた初代アルト同様、エポックメイキングなモデルだった。軽自動車の多様化が進むなか、高性能化の流れも強まっていくが、その極め付けとして登場したのが1987年2月のアルト・ワークスである。商用登録でありながらも、3気筒DOHC12Vインタークーラーターボというハイポテンシャルエンジンを搭載。64ps/7500rpm、7.3kg-m/4000rpmのパワースペックを発揮し、4WD仕様も用意した。一方、フロンテでは、DOHC12Vの自然吸気ユニット(40ps)がラインアップに加わったにとどまった。