ローレル 【1972,1973,1974,1975,1976,1977】
“ゆっくり走ろう”と語りかけたハイオーナーカー
日本の社会が高度経済成長の真っ只中にあった1970年代初頭、乗用車は大型化と高性能化への道をひた走っていた。トヨタは、コロナの発展型として2.0リッター・クラスのコロナ・マークIIを発表し、瞬く間にマーケットを席巻する。
ライバルである日産は、ブルーバードとセドリック/グロリアの中間車種として1968年に国産車初の1.8リッタークラスとなるローレルを登場させていたが、マークIIに対抗する関係から、2.0リッタークラスへの拡大を図り、1972年1月にデビューした第2世代のローレルで主力を2.0リッター・クラスへポジションアップし迎撃体制を整えた。つまりローレルは、それまでマークIIの後塵を拝する形となっていたわけで、そのことがもう一つ人気の高まりが無い大きな理由であった。2代目はそれを払拭する意欲的な存在だった。
2代目のキャップコピーは“ゆっくり走ろう−新しいローレル”だった。最新機能を満載し、パフォーマンスアップを実現したローレルにとって、このキャッチコピーは冒険といえた。しかし2代目が誕生した1970年代初頭は高度経済成長のひずみがさまざまな面で現れていた時代だった。深刻さを増す大気汚染と公害問題、自然環境の破壊が大きな社会問題となっていた。経済成長一辺倒ではなく、もう一度人間本来の生活を見直そうという機運が日本全体に生まれていた。“モーレツからビューティフルに”という有名なCMコピーが流行ったのもこの頃だ。
ローレルの“ゆっくり走ろう”という提案は、「肩から少し力を抜き、ゆったりとした生活を楽しみましょう。上質なローレルはそのパートナーです」というメッセージだった。性能をフルに使い切るのではなく、余裕として温存することで生まれる豊かさ、ゆとりこそ2代目ローレルの魅力と主張したのである。
2代目ローレルは、デビュー当初5タイプ/7種類のエンジンを搭載していた。主力の2.0リッターは6気筒のL20型とL20型ツンキャブ仕様、4気筒のG20型とG20型ツインキャブ仕様の4タイプ/6種類、そしてベーシックな1.8リッターのG18型である。ツインキャブ仕様にはプレミアムガソリン仕様とレギュラーガソリン仕様の2種を設定していた。
どのエンジンも日産が誇る高性能ユニットで、最高出力(G18型105ps〜L20型ツインキャブ仕様130ps)、最大トルク(G18型15.3kg…m〜L20型ツインキャブ仕様17.5kg・m)ともクラス水準を抜いていた。ローレルの“ゆっくり走ろう”という提案は、“ゆっくりとしか走れない”のではなく、高性能なのにあえて“ゆっくりと走る”点に説得力があった。
その後、一段とパワフルな2.8リッターのL28型が加わり、公害対策を施した後期型からは、6気筒のL20型ツインキャブ仕様が電子制御インジェクション仕様に変更され、4気筒はL18型に絞られた。しかし優れたパフォーマンスの持ち主という基本キャラクターは不変だった。
フルモノコック構造を採用したボディ・バリェーションは、4ドア・セダンと2ドアハードトップの2種で、ステーションワゴンやバン仕様はない。ローレルがオーナードライバー向けのモデルであることをユーザーにイメージ付けるための戦略である。マークIIが4気筒エンジン搭載モデルと6気筒エンジン搭載モデルでボディのノーズ部分の造りを変え、各々にスタイリングのバランスを取っていたのに比べ、ローレルは直列6気筒エンジンの搭載を前提にしたボディを一種類としていた。従って、4気筒エンジン搭載モデルのエンジンルームはスペース的には大きな余裕が生まれた。
駆動方式はフロント縦置きエンジンによる後2輪駆動。トランスミッションは5速/4速マニュアルと3速オートマチックの3種があり、フロアシフトのみとなっていた。サスペンションは前がストラット/コイル・スプリングと旧型と同じだが、後ろは2仕様が在り、セミトレーリングアーム/コイル・スプリングが2ドアハードトップ用、半楕円リーフ・スプリングによるリジッドアクスルは4ドアセダン用にと使い分けられていた。
ブレーキは一部車種が4輪ドラムブレーキである以外はフロントにサーボ機構付きディスクブレーキが装着されていた。その他安全装備としては、一部にオプション設定となるものを含め、ブレーキ油面警告灯、ELR付き3点式(一部車種は2点式)シートベルト、コラプシブル・ステアリングシャフトなどが標準装備される。ローレルの安全装備は当時としてはかなり充実していた。
インテリアは日産のオリジナリティを演出したもので、上級車種であるセドリック/グロリアにも通じるデザインとなっていた。インスツルメンツパネルのデザインは、2ドアハードトップ系がスポーティな円形メーター、4ドアセダン系が矩形メーターと区別され、ステアリングの形状も違っていた。
クルマのポジションがアッパーミドルクラスという事もあり、快適装備やあると便利なアクセサリーは、当時としても異例なほど完備したものとなっていた。最上級グレードのSGXでは、ヒーター、センターコンソール、ステレオデッキ付きFM/AMラジオ、電子時計、グリップの一部を本革巻としたスポーツステアリング、本木製シフト・ノブ、オーバーヘッド・コンソール、衝撃で脱落する防眩装置付き室内ミラー、サイドベンチレーター、パワーウィンドウ、リアウィンドウのデフロスター(曇り止め)、4スピードワイパーなどが装備されていた。
車両重量は1150kgから1205kg程度だったから、エンジン性能から見ても十分に軽量であり、性能的にもライバルのマークIIシリーズに十分対抗できるレベルに在った。価格は72万円から103万円と比較的お買い得だった。
1970年代前半、日産は先進実験安全車ESVの研究を積極的に展開する。ESVは「80km/hで前方の壁に衝突しても乗っている人が致命傷を負わないこと」を目標とした実験安全車で、米国運輸省が主導し世界の自動車メーカーが参加した一大プロジェクトだった。
日産はESVで得たノウハウを積極的に生産車にフィードバックする。とくにローレルの後期型ではタイヤ空気圧警告装置、万が一衝撃が加わると自動的にロックするELR付きシートベルトを採用。この他にもブレーキ油面警告灯、視界を妨げないセミコンシールドワイパー、リモートコントロール式フェンダーミラー、シートベルト警告灯、ハイバックリアシートなどの安全装備を充実させていた。ローレルは安心して乗れるクルマの代表でもあった。