フロンテ360 【1967,1978,1979,1970】

スポーティな走りの3気筒RRセダン

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すべてを刷新。かつてのプロトをベースに開発

 1967年5月に発表・発売された新しいスズキの軽自動車は、名前こそ旧型と同じ「フロンテ」であったが、形式名を“LC10”と呼ぶ新設計モデルに進化していた。このLC10のルーツとなったのは、1961年10月に開催された第8回東京モーターショーに、鈴木自動車工業(現スズキ)が出品したコンセプトカーの「スズライト・スポーツ360」である。このモデルは、並列2気筒空冷の2ストロークエンジンをリアに搭載して後輪を駆動するRRレイアウトであった。スタイルは2ドアセダンだったが乗車定員は4名で、特に後部座席のスペースを確保するため、リアウィンドウは同じ軽自動車の「マツダ・キャロル」などにも見られるような、逆傾斜となったクリフカット・スタイルを採用していた。エンジンのパワーは25ps/6000rpm、車重は365kgで最高速度は120km/hと発表された。
 プロトタイプである「スズライト・スポーツ360」から5年半を経た1967年5月に、スズキは新型「フロンテ360(LC-10)」を登場させる。

完全な乗用車専用設計の意味

 フロンテ360は乗用車専用設計で、リアエンジン、リアドライブ(RR)方式を採用していた。リアエンジンの利点としては、後輪への荷重が増えることによる駆動力の増加(簡単に言えばスリップし難くなる)や、複雑なメカニズムが不要となることで造りやすくなることなどが挙げられる。また、フロントエンジン方式と同様、エンジンやトランスミッションなどの走るための装置を一部に集中でき、室内のスペースをより広く採ることが可能となる。軽自動車と言う、きわめて限られたサイズの中では、ドライバーを含めた人の乗るスペースを最大限に拡大することは重要な要素だ。なんと言っても、クルマに乗る人間のサイズは、軽自動車だからと言って小型化は出来ないのだから。またスズキが、最初の軽自動車である「スズライトSF/SS」の時代から一貫して採用していた前輪駆動方式から転換したのは、新しいフロンテ360が、本格的な量産を計画しており、複雑なメカニズムを持つ前輪駆動方式では計画が立ち行かなくなったことも示していた。LC10はスズキが本格乗用車メーカーへと転身することを狙った戦略モデルだったのである。

流行のコークボトルラインを導入

 スタイリングは、それまでのフロンテが、実用性と生産性を重視した箱型の, どちらかと言えばデザイン以前のスタイルだったのに比べ、超小型ながらもスタイリッシュなボディを採用していたことが大きな特徴だった。1960年代にアメリカを中心として大流行していたコークボトルラインを採用していたのだ。コークボトルラインは、アメリカのGM各車に採用されていた独特のデザインで、コカコーラのビンのように、中央部分がくびれたスタイルのことを言う。当時最先端のスタイルだった。

 シャシーは、それまでの商用車をベースにしていた旧型とは異なり、完全に乗用車用として新設計され、強固なバックボーンフレームを一体化したモノコック構造とされた。それは、リアエンジン方式の採用と共に、ピックアップトラックやライトバンなどへの多用性を考慮せずに、乗用車だけのシャシーであったことを意味する。ホイールベースは1960mmと短めだったが、大人4人が乗れる室内スペースが確保されていた。サスペンションも新設計となり、前がコイルスプリングを使ったダブル・ウィッシュボーン、後はコイルスプリングによるトレーリングアーム式の4輪独立サスペンションとなった。ブレーキが4輪ドラムであり、タイヤ・サイズが4.80—10と小さいのは、時代性を示す。

贅沢な3気筒エンジン搭載

 リアに置かれたエンジンは、スズキがモーターサイクルやGPレース参戦で培った2ストロークエンジン技術を採り入れたもので、排気量356ccの空冷並列3気筒である。シリンダー・ブロックは各々独立しており、冷却効果を高めている。また、エンジンの潤滑は、従来のガソリンとオイルを混ぜた混合燃料ではなく、インテークマニホールドでガソリンと潤滑のためのオイルを混合する、スズキの独自開発による“スズキCCI方式”を採用。エンジンの耐久性の向上と高回転化を可能としていた。スズキCCIの採用により、2ストロークエンジン車でもガソリンのみの給油で走れるようになった(オイルは別のタンクに入れてある)。モーターサイクル用と同じ3基のアマル型キャブレターと6.8の圧縮比から、25ps/6000rpmの最高出力と3.7kg・m/4000rpmの最大トルクを発揮した。車重は425kg程度で、最高速度は110km/h、0〜400m加速22.4秒と、当時の軽自動車としては破格の高性能を示した。

鮮烈な速さのSS誕生

 1960年代末になると、軽自動車は日本の自動車市場の中でも大きな割合を占めるようになっていた。それに呼応して単に安価な移動手段という範囲を超えてモデル・バリェーションの拡大と小型車や中型車にも負けないほどの高性能化への道をひた走るようになっていく。きっかけとなったのは、ホンダN360や1968年6月にデビューしたダイハツ・フェローSSだったが、スズキもその波に遅れまいと、1968年11月に新型フロンテ360のスポーツバージョンである「フロンテSS360」を登場させた。SSはエンジンを高度にチューンアップ、36ps/7000rpmの最高出力を実現し、125km/hの最高速度と0〜400m加速19.95秒を実現するに至った。

 フロンテSSは、その卓越した高速性能を実証するため、当時としては大胆な海外での公開テストを実施した。イタリアのアウトストラーダでの全開走行である。ミラノ=ローマ=ナポリの750km区間で行われたテストの実走行時間は僅か6時間06分05秒。平均速に換算して122.44km/hの堂々たるパフォーマンスを記録してみせた。レジオ=モデナの19.6km区間では平均134.1km/hに達したという。ドライバーは名手スターリング・モスとGPライダーの伊藤光夫の2名。ドライバーの卓越したテクニックも無視できないが、なによりフロンテSSの高性能が速さを生んだ。テスト車はまったくのノーマル状態で、走行後も不具合は発生しなかったという。