R2 【1969,1970,1971,1972,1973】

“ハード・ミニ”を謳った第2世代Kカー

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名車スバル360後継車の開発プロセス

 てんとう虫ことスバル360の大ヒットで軽自動車界セグメントを牽引していた1960年代前半の富士重工業(現SUBARU)。しかし、1960年代後半に入るとその勢いに陰りが見え始める。本田技研工業のN360や鈴木自動車工業のフロンテ、ダイハツ工業のフェローといった競合車が市場で台頭してきたからだ。
 現状のままでは、軽自動車セグメントでのシェアを落とす一方--。打開策として富士重工業は「65D」という呼称の新型軽自動車開発プロジェクトを立ち上げる。軽量モノコックのボディ構造やRR(リアエンジン・リアドライブ)の駆動システム、前後セミトレーリングアーム/トーションバーの足回りといった基本レイアウトは定評のあるスバル360を踏襲し、そのうえで徹底した改良を行うことを決定した。

 開発コード65Dは、ホイールベースを120mm延長(1920mm)し、車内空間の拡大や走行安定性の向上を実現。外装はフラッシュサーフェス化した最新の2BOXモノコックスタイルに切り替え、三角窓のないフルオープンドアウィンドウおよび幅広のドア(幅1040mm)を採用。フロントトランクルーム、クロームメッキのバンパーを設定する。ボディサイズはスバル360比で全長が5mmほど伸び、一方で全高は35mmほど低められた。

伝統のRRレイアウトを踏襲。エンジンは新設計

 内装デザインや装備類も近代化した。視認性を高めた丸型メーターや操作性を重視したスイッチ&ノブ類、厚いクラッシュパッドで覆ったダッシュボード、全天候型の3ウェイセンターベンチレーション、リクライニング機構を備えた新フロントシートを採用する。さらに、運転席セーフティピロー+2点式シートベルトやアンチバースト式ロックを組み込んで安全性を向上させた。

 搭載エンジンは、シリンダーにアルミ合金を用いた新設計のEK33型。356cc空冷2サイクル直列2気筒ユニット(最高出力30ps/6500rpm、最大トルク3.7kg・m/5500rpm)を採用し、混合気の吹き返しを防ぐリードバルブをセット。トランスミッションには4速に多段化するとともにフルシンクロメッシュ化したMTのほか、オートクラッチと呼ぶ電磁クラッチ式の2ペダルMTを設定する。パフォーマンスは、最高速度115km/h、0→400m加速21.9秒と公表。また、操舵機構にはラック&ピニオン式を採用し、ギア比はスバル360の20.6から16.2へとクイック化が図られた。

“ハード・ミニ”を謳って市場デビュー

 1969年7月、富士重工業は新世代軽自動車を「スバルR-2(K12型)」の車名で発表し、翌8月に発売する。車名のR-2はリアエンジン車の第2世代を意味していた。キャッチフレーズには“ハード・ミニ(hard mini)”を謳い、車種展開はスーパーデラックス/デラックス/スタンダードの3グレードを用意した。

 内外装の近代化および上級化が図られ、エンジンパワーや走行安定性を引き上げたR-2は、発表と同時に注文が殺到。1カ月もたたずに約2万6千台という受注を記録し、一時は生産が追いつかないほどの状況となる。また、1970年2月に発売したR-2バン・シリーズ(K41型)も好評を博した。ちなみに、富士重工業は当初のR-2の販売に慎重を期し、定評のあるスバル360の一部グレード(高性能版のヤングSSやヤングSなど)を継続販売する。しかし、その心配は杞憂に終わり、1970年5月にはスバル360の生産を終了した。

R2高性能バージョンを企画

 R-2の好調なスタートダッシュを横目に、開発現場ではスポーツモデルの企画が着々と進行していた。当時は高速道路網の伸長や一般道の舗装化の進展に伴い、軽自動車でも高性能モデルの設定が求められていたのだ。
 高性能版R-2の心臓部となるエンジンについては、新設計のEK33ユニットをベースに緻密なチューンアップを実施する。シリンダーはハードクロームメッキのアルミ合金で仕立て、ピストンリングにはガスシール性に優れる特殊タイプを採用。燃料供給装置にはソレックスタイプの36PHHツインバレルキャブレターをセットした。排気系には専用の高速型ディフューザーマフラーとマニホールドを組み付ける。得られたパワー&トルクは36ps/7000rpm、3.8kg・m/6400rpmに達した。組み合わせるトランスミッションは専用ギア比のフルシンクロ4速MT。クラッチには低速から高速まで、軽くて一定した踏力が得られる乾燥単板ダイヤフラム式を導入した。

 SSのシャシーは、前後セミトレーリングアーム式サスペンションをベースに、強化型のトーションバースプリングやオイルダンパー、フロントスタビライザー(トーションバー式)を装備。組み合わせるタイヤは135SR10サイズのラジアルで、最低地上高は10mm引き下げて160mmとする。また、ドライバーが直接触れるステアリングには、2本スポークの小径タイプを装着した。

 開発陣は内外装の演出にも徹底してこだわる。エクステリアでは砲弾型フェンダーミラーやノーズフィン、フォグランプ、色さしホイールキャップ、パッシングライト、フロントウィンドウ部分強化ガラスを採用。インテリアは精悍なブラックカラーで統一し、3連メーター(トリップメーター組み込み速度計/回転計/燃料計&水温計&オイル計)やヒール&トゥを意識したアクセルペダル、バケットタイプ・フロントシート(8段階140mmスライドおよび4段フルリクライニング機構、セーフティピロー、2点式セーフティベルト付き)を装備した。

マニアを魅了した“SS”のグレード名を冠したホットモデル

 渾身作の高性能版R-2は、「SS」のグレード名を付けて1970年4月に発売される。キャッチフレーズは“ハードライダーの魂をうばうミニ”。固めた足回りにラジアルタイヤ、ハイパワーでねばり強いエンジンなどを採用した硬派な走りの軽自動車である事実を、端的に表していた。
 ボディカラーはイタリアンレッド/サンビームイエロー/アドニスホワイトという精悍な3タイプを設定。“R-パック”と称したオプションとして、艶消しブラック塗装のフロントフードやレザートップなども用意した。

 市場に放たれたR-2 SSは、最高速度120km/hに0→400加速19.9秒というハイスペックや意外に扱いやすいエンジン特性、優れたロードホールディング性能、切れ味のいいハンドリングなどが走り好きから注目を集める。てんとう虫ゆずりの高い耐久性も好評を博した。

時代に合わせた水冷エンジン・シリーズの登場

 R-2は1970年10月に充実装備のGLを追加設定。1971年2月になると、フロントマスクにダミーグリルを新設し、標準EK33エンジンの最高出力を32psに引き上げるなどのマイナーチェンジを行い、これを機にSSはカタログから外れる。しかし、8カ月ほどが経過した同年10月のマイナーチェンジの際には、より上級化されたツインバレルキャブレター仕様のスポーツモデル「GSS」が登場。またシリーズ全体として、通称“ゼブラマスク”と称する新フロントグリルと豪華になった“キュービックダッシュボード”、セーフティ&ゴージャスなハイバックシート、燃料タンク内の蒸発ガスの大気放出を抑制するスバルEECSを新採用する。さらに、このマイナーチェンジでは排出ガスの浄化に有利な新開発の水冷エンジン、EK34型356cc水冷2サイクル直列2気筒ユニット(最高出力32ps/6000rpm、最大トルク4.1kg・m/5000rpm)を積むスーパーL/カスタムLを新規にラインアップした。

 水冷エンジンの搭載ではネガティブな部分も露呈した。もともとR-2は空冷エンジン用に車両レイアウトを構成していたために冷却用の配管を車室内に通すことができなかったのだ。窮余の策として水冷モデルは配管を車室外のサイドシル下に配備。その結果、配管自体の腐食や損傷、さらに冷却水の漏れによる車体への錆の広がりというトラブルが発生したのである。R-2のイメージは大きく悪化。販売台数は当初から半減してしまった。

 最終的に富士重工業は、軽乗用車の早期の全面改良を決断。1972年6月には、水冷エンジンの搭載を前提とする車両レイアウトを採用した新世代の軽自動車シリーズ「レックス」を発表する(発売は7月)。一方、R-2は信頼性の高い空冷モデルのみを、グレードを絞って継続販売。しかし、それも長くは続かず、1973年2月には販売を中止した。生産台数は28万9555台。その多くが空冷モデルだった。後にR-2は「空冷のスバル軽の完成形」とファンから称されるようになった。