フロンテSS 【1968,1969,1970】

名手スターリング・モスも驚嘆した韋駄天ミニ

会員登録(無料)でより詳しい情報を
ご覧いただけます →コチラ


軽スポーツの真打ち、フロンテSSの登場

 ホンダN360のデビューがきっかけを作り、ダイハツ・フェローSSやスバル・ヤングSSが流れを決定した軽自動車のハイパワー&スポーツ化は、1968年11月に発売されたスズキ・フロンテSSの誕生によって頂点を迎える。

 フロンテSSは、2輪の世界でスポーツモデルを作り慣れていたスズキだけに、ライバルメーカーとは次元が違う強心臓が搭載されていた。当時の軽自動車唯一の2ストローク3気筒エンジンは、まさにフルチューン。SS用ユニットは標準車とはクランク系から異なっていた。ガスの流れを速くするためフルカウンター(=円形状)となっており、シリンダーはアルミ鋳鉄スリーブ入り。圧縮比は6.8から6.9に高められ、3連装キャブレターの口径は20mm系から24mm系に大口径化。エキゾースト系も専用設計だった。エンジンスペックは排気量356cc、最高出力36ps/7000rpm、最大トルク3.7kg・m/6500rpm。0→400m加速データは20秒を切る19.95秒、トップスピードは125km/hと公表された。

名手スターリング・モスがその速さを実証!

 フロンテSSのパフォーマンスはカタログデータ以上だった。発売前に高性能をアピールするため、イタリア・アウトストラーダのミラノ〜ローマ〜ナポリ間の750kmを走破する“太陽のハイウェイ・テスト”を実施。平均122.26km/h、最高134.1km/hで走破してみせたのだ。ドライバーに起用されたのは元F1ドライバーのスターリング・モスと、2輪ライダーの伊藤光夫。ドライバーが名手だったこともあるが、テストに起用されたモデルは市販仕様と共通。なによりフロンテSSの高性能がただものでない事実を証明していた。

 ただしフロンテSSは、高性能を引き出すのに相応のテクニックが必要なクルマでもあった。フルチューンされたエンジンは常に3500rpm以上をキープしていないと走らなかった。それ以下では突然エンストすることもしばしば。タコメーターのイエローゾーンは0〜3500rpmと7500〜8000rpmの2カ所表示され、レッドゾーンは8000〜10000rpmという、まさにレーシングユニット並みの設定だった。

 信号からのスタートでも3500rpm以上でクラッチをミートする必要があり、本来のパワーが実感できるのは5000rpm以上という、ピーキーな性格だったのである。渋滞路ははっきりと苦手。各ギアでぎくしゃくしないで走れる最低速度は1速が15km/h、2速は23km/h、3速で38km/h、4速50km/h。推奨速度(つまりエンジン回転5000rpm以上)は1速22km/h、2速38km/h、3速58km/h、4速83km/hだった。「フロンテSSをスムーズに、しかも俊敏に走らせることができれば、レーシングカーも手なずけられる」と当時言われたほどテクニックが必要だったのだ。

スズキの“高性能イメージ”を定着させた名車

 フロンテSSは、エンジンだけが強力なスポーツモデルではなく、全身でスポーツマインドを発散する“本物”だった。SSの価格は38万7000円。当時の軽自動車の中で最も高価な1台だったが、それでも内容を考えると“割安”という評価が与えられた。

 エクステリアはセブリングタイプの砲弾型ミラーと、各部のブラック処理が精悍な印象を訴求。インテリアもフルリクライニング式バケットシートが奢られ、メーターはスポーティな3連メーターを装備するなど、ハイパフォーマンスに相応しい仕立てが与えられた。足回りも実にしっかりとしていた。

 フロンテSSの投入により、高性能イメージが定着したフロンテ・シリーズの販売は急上昇する。1968年の10万6534台が1969年には12万4550台にジャンプアップ。1970年には15万6307台をマークする。スズキがホンダに続く軽自動車シェア、ナンバー2の座を確立するのに、フロンテSSの功績は大きなものがあった。