スカイラインHB 【1981,1982,1983,1984,1985】

キャッチフレーズは“走りのハッチバック”



多様化するユーザーニーズへの対応

 定評のある“走り”の性能に一段と磨きをかけ、1981年8月に市場デビューを果たした6代目のR30型系スカイライン。そのボディラインアップを見て、当時のクルマ好きは「えっ!?」と驚いた。スカイラインの定番である2ドアハードトップと4ドアセダンのほかに、見慣れない“5ドアハッチバック”が設定されていたのである。

 当時の開発スタッフによると、「多様化と個性化の度を強めるユーザーのニーズに対応する」ためにハッチバックを企画したという。1980年初頭は日本の自動車メーカーが厳しい排出ガス規制や第2次オイルショックを乗り越えた時期で、車種強化やクルマの高性能化のために予算と人員を割ける状況になっていた。一方、アウトドアレジャーの浸透などによってユーザー側のクルマの使用パターンも多様化の様相を呈していた。こうした背景から、「既存のモデルにはない、多用途性とスポーティ感覚を兼ね備えたクルマを造ろう」という発想が、スカイラインの開発チームに芽生えたのである。

 新しい“走りの多用途車”を企画するに当たり、開発陣は欧州の5ドアハッチバック車を参考にする。当時の日産はアメリカに続き欧州市場にも着々と進出しており(当時の日産自動車社長の石原俊は“輸出の石原”といわれたほど輸出に力を入れていた)、現地の市場動向やクルマ造りを大いに研究していた。その成果が、スカイラインのハッチバック化に生かされることとなる。ベース車に選ばれたのは4ドアセダンで、Cピラー以降のボディを強化しながら大胆なハッチバック形状に仕上げた。また外観のスタイリッシュさを損なわないように、ハッチサイドにはシャープなラインのクオーターガラスを組み込む。ラゲッジルームの演出にも注力し、日本車で初めてテンパータイヤを採用して広い床面を確保したうえで、リアシートには可倒機構を採用した。

セダン/クーペから1カ月遅れで発売

 スカイライン初の5ドアハッチバックモデルは、2ドアハードトップと4ドアセダンの発売から1カ月後(1981年9月)に市場に放たれる。その車種展開を見て、当時のクルマ好きはまた驚いた。追加車種にありがちなシンプルな構成ではなく、セダンに匹敵するほどの多彩なラインアップを用意していたのである。

 搭載エンジンはL20ET型1998cc直6OHCターボ(145ps)を筆頭に、L20E型1998cc直6OHC(125ps)/Z20E型1952cc直4OHC(120ps)/Z18S型1770cc直4OHC(105ps)の4機種のガソリン仕様とLD28型2792cc直6OHC(91ps)のディーゼル1機種を設定。グレード名はL20ET型を搭載したモデルがターボGT-E・X、L20E型搭載車がGT-E・XとGT-E・L、Z20E型搭載車がTI-E・X、Z18S型搭載車がTI・L、LD28型搭載車が280D GT・Lを名乗った。

 内外装の演出や走りのメカニズムに関しても抜かりはない。ダイナミックなウエッジシェイプや伝統の4灯式ヘッドランプはハッチバックでも健在。樹脂製の一体成形インスツルメントパネルと水平指針のオレンジ文字メーター、フリーシートセッター、チルト&テレスコピックステアリング、ダイバーシティFM受信システムなどはセダンと同様のエクイップメントだった。走りの機構もセダンに準じ、GT系はスポーティに、TI系はコンフォート重視に仕上げていた。

最初で最後のハッチバックに--

 ワイドバリエーションでユーザーにアピールしたスカイライン・ハッチバック。しかし、販売成績は日産の期待を裏切り低調に推移する。
 当時の販売スタッフによると、「クルマの出来そのものはよく、試乗した人の評価は高かったが、やはり5ドアハッチバックのスタイリングが日本の大多数のユーザーには受け入れられなかった」という。また、「後に5ドアワゴンのエステートが追加(1981年10月デビュー)されると、アウトドア志向のユーザーはそちらになびいてしまった」そうだ。

 スカイラインの新しいジャンルとして創出されたハッチバック仕様は、結果的にユーザーの高い支持は受けられず、R30型系の一代限りで姿を消すことになる。これ以後、170型系トヨタ・コロナSF(1987年12月デビュー)やGD型系マツダ・カペラCG(1987年5月デビュー)、E30型系三菱エテルナ(1988年10月デビュー)など、新型の5ドアハッチバック車が相次いで登場したが、いずれも不発に終わった。日本ではミドルクラスの5ドアハッチバック車は売れない--その先鞭となったのが、実はR30型系スカイライン・ハッチバックだったのである。

ハッチバックモデル専用の広告キャンペーンを展開

 5ドアハッチバック仕様のラインアップはスカイライン初の試みだっただけに、日産の宣伝スタッフは広告展開にも非常に力を入れた。活字媒体の広告でハッチバックを単独展開するのはもちろん、CMでもハッチバック専用の映像を製作する。ストーリーは「風光明媚な山間で乗馬をするポール・ニューマン。乗馬を終えた後は鞍などの道具を外し、スカイライン・ハッチバックの広い荷室に積み込む。カップに注いだ飲み物で一服した後、今度はスカイライン・ハッチバックのクルージングを楽しむ--」。映像にかぶせるナレーションは、“ニュースカイラインに、走りのハッチバック登場”“ポール・ニューマン、人生の愉しみ方を知っている男”だった。