マスターエース・サーフ 【1982,1983,1984,1985,1986,1987,1988,1989,1990,1991,1992】
2代目タウンエースの兄弟車として登場した上級ワゴン
アウトドアレジャーが本格的に浸透し始めた1970年代終盤から1980年代初頭の日本では、郊外に遊びに出かけるための足、すなわちクルマに対するユーザーの要求性能も変化した。家族や友人など多人数が乗車できて、しかも大量の荷物が積めてその積み下ろしも楽−−。これらの条件を満たすモデルとして脚光を浴びたのが、既存のキャブオーバー型バンだった。
従来は商用ユースが主流だったキャブオーバー車は、アウトドアレジャー人気に即して乗用車としての特性も求められるようになる。バンとは一線を画す華やかなエクステリアに多人数が楽しく過ごせる室内空間、そして高性能で快適な走りなどの具現化が望まれたのだ。こうした要求に対して日本の自動車メーカーは、蓄積してきたキャブオーバー車造りの技術に乗用車のノウハウを加えながら、新しい小型ワンボックスワゴンを企画していく。なかでも積極策を打ち出したのが、タウンエースやライトエースという小型キャブオーバー車を販売して市場を牽引していたトヨタ自動車だった。同社の開発陣は鋭意、レクリエーショナルビークル(RV)としての理想的なキャブオーバー車の姿を検討。同時に、多様なユーザー志向に対応する目的で車種ラインアップの拡大や装備内容の充実化も模索した。
1980年代に向けたトヨタの新型キャブオーバー車は、第2世代のタウンエース・シリーズとなって1982年11月に市場デビューを果たす。そして、トヨタ店系列向けの兄弟車としてワゴン専用の上級モデルとなる「マスターエース・サーフ」を新規に発売した。ちなみに、車名のマスターエースは英語のmaster=先頭に立つ者とace=第一人者を組み合わせた造語で、サーフは英語のsurf=さざ波を意味し、使い方の広がりを表現していた。
新型車のマスターエース・サーフは、トヨタの開発陣が乗用キャブオーバー型ワゴンの理想を追求して仕立てた“贅を尽くしたワンボックスサルーン”だった。まずスタイリングに関しては、角型4灯式ヘッドランプや大型ウレタンバンパーなどを組み込んで華やかに演出。ルーフ形状ではハイルーフ/ハイルーフ・ツインムーンルーフ付/ミドルルーフ/ミドルルーフ・ツインムーンルーフ付という計4タイプを設定する。インテリアについては、フロントオーバーハングの延長およびフロントウィンドウ傾斜角の見直しやシート形状の改良などにより居住性をアップ。中でも最上級グレードのグランドサルーンは、豊富な3列式のシートバリエーションやフルファブリックトリム、大型トリムボックス、エアコン吹出口を一体化した成形天井、フロアパネル埋込式のビルトインリアヒーター、エンジン回転数感応型パワーステアリング、視認性に優れるエレクトロニックディスプレイメーター、製氷・冷蔵・温蔵の3機能を備えた世界初のアイスメーカー付冷温蔵庫などを採用して利便性と快適性を向上させた。
見栄え品質が向上したスタイリングに充実装備のキャビンルーム、そして優れた走りを実現したマスターエース・サーフは、グランドサルーンを頂点にした豊富な車種バリエーションも奏功し、順調に販売台数を伸ばしていく。この上昇気流をさらに高めようと、開発陣は精力的に車種ラインアップの拡充や機構面の改良を図っていった。
1983年4月には、2C型1974cc直列4気筒OHCディーゼルエンジン(72ps/12.8kg・m)を搭載したスーパーツーリングを発売。翌5月には、燃料級装置にEFIを組み込んだ3Y-E型1998cc直列4気筒OHVガソリンエンジン(115ps/18.3kg・m)を採用する上級モデルを市場に放つ。3Y-E型ユニットには5速MTのほか、2ウェイ式オーバードライブ付4速ATを設定した。1985年8月には大がかりマイナーチェンジを敢行。ディーゼルターボ(2C-T型1974cc直列4気筒OHCディーゼルターボ、88ps/17.0kg・m)の追加やSW(スイッチワゴン、2列式シート車)の設定、内外装の刷新、ステアリング形式のラック&ピニオン化などを行う。2カ月後には4WD車を発売した。1988年8月になると再びビッグマイナーチェンジを実施。内外装ではさらなる上級化と装備の拡充を行い、加えて搭載エンジンの改良やTEMS(Toyota Electric Modulated Suspension)の導入などを図って走行性能を向上させた。
ユーザーの要求に合わせて随時改良を加えていったマスターエース・サーフは、1992年1月に生産を終了。2代目は設定されず、タウンエース・ワゴンに統合される形で車歴に幕を閉じたのである。