プレリュード 【1978,1979,1980,1981,1982】

新時代を見据えたスペシャルティクーペ

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ホンダの今後を予感させる車名で登場

 1970年代中盤は、自動車メーカーにとって苦難の時代だった。オイルショックによる猛烈なインフレに加え、アメリカで制定されたマスキー法を発端とする厳しい排出ガス規制の波が,各メーカーを襲ったからだ。この規制に対して真っ先に新技術を投入し、マスキー法を世界で初めてクリアしたのがホンダだった。エンジニアが試行錯誤の末に開発したCVCCという複合渦流調速の燃焼方式は、当時最先端の低公害技術として世界で評価された。

 1970年代後半に入ると、ホンダはCVCCエンジンを搭載するラインアップの拡充に着手しはじめる。低公害技術で他メーカーに先んじたからこそ、こうした戦略がいち早くとれたのだ。
 それまでのホンダの主力車はシビックとアコードの2モデル。この2モデルは日本はもちろん、アメリカ市場でも好調な販売成績を記録していた。3本目の柱としてホンダが設定したのはスペシャルティカーの分野だった。1978年1月、スタイリッシュなクーペモデルのプレリュードを発表する。車名のプレリュードは「前奏曲」という意味。これから始まるホンダの積極攻勢の前奏=プレリュードという意気込みがこめられていたのだろう。プレリュードは新設された販売チャンネルのベルノ店で販売された。このあたりもホンダの姿勢が見てとれる部分である。

国産車初の電動サンルーフを装備

 プレリュードはアコードのメカニカルコンポーネンツを多用していた。エンジンはアコード1800と共通のCVCCを組み込んだ1750cc・直列4気筒で、最高出力90ps/5300rpm(AT車は85ps/5300rpm)、最大トルクは13.5kg・m/3000rpmをマーク。トランスミッションは5速MTとホンダマチックと呼ばれる独自のATを組み合わせた。サスペンションは前後ともマクファーソンストラットの4輪独立。これもアコードと同形式だ。ただしホイールベースは2320mmと,アコードより60mm短縮していた。ボディサイズは全長×全幅×全高4090×1635×1290mmとコンパクト。なかでも全高を低く抑えた、クーペボディらしいシルエットが光った。駆動方式はもちろんホンダ得意のFFである。

 ラインアップは、E/XE/XR/XTの4グレード構成。XEは装備充実のラグジュアリー仕様。当時このクラスでは稀なパワーステアリングが標準だった。一方、XRは走りを重視したスポーティ設定。175/70R13サイズのワイドラジアルを装着していた。
 装備類では、Eを除いた全車に国産車初の電動式スチールサンルーフを標準装備したことがニュースだった。さらに速度計と回転計を同心円状に並べた集中ターゲットメーターやロータリー式のラジオなども注目を集める。オプションで選べたコノリーレザーの内装も,プレリュードのスペシャルティな雰囲気を盛り上げるのにひと役かっていた。

当初から海外マーケットをターゲットに開発

 プレリュードは、日本のライバル、トヨタ・セリカや日産シルビアなどとは、コンセプトがはっきりと異なっていた。セリカやシルビアは、若者をターゲットに開発され、パワフルなエンジンを搭載。スポーツカーライクな走りを気軽に楽しめることが魅力だった。対してプレリュードは、若者以上に、クルマを良く知る大人がターゲット。絶対的な速さ以上に、上質さや意のままのハンドリングを重視していた。プレリュードもセリカやシルビアと同様、量産サルーンのメカニカルコンポーネントを上手に流用することでコストダウンと信頼性の向上につなげていたが、セリカやシルビアが、フォード・マスタングを起源とする通称ポニーカーの日本版だったのに対し、プレリュードは、どちらかというと欧州調。メルセデス・ベンツやBMWのクーペが持つ風格を,どこか彷彿させた。

 当時すでに、ホンダは日本以上にアメリカで高い評価を受ける国際ブランドだった。シビックやアコードは、CVCCをはじめとする先進技術の功績で“インテリジェントなコンパクトカー”という独自のポジショニングを構築していた。プレリュードは、そのイメージを一段と強固なものとするために開発されたスペシャルティクーペ。それだけにライバルとははっきりとキャラクターを分け、“大人のインテリジェントクーペ”を狙ったのだ。
 しかも,日本ではクーペのマーケットは小さいが、パーソナルカーとしてクルマを楽しむアメリカでは、クーペの市場は数段大きかった。プレリュードは当初から国際車、とくにアメリカ市場を重視して開発された。

FFのメリットを実感させたベストハンドリング

 プレリュードの走りは爽快だった。なかでもハンドリングの良さが光った。ホンダが長い経験を誇るFFレイアウトと4輪マクファーソンストラット式のサスペンションは抜群の安定性を発揮。高速道路では矢のような直進性を、ワインディングロードではドライバーのイメージ通りのコーナリング性能を披露した。

 1750ccのCVCCユニットは、格別パワフルな印象はなかったが、ホンダのエンジンらしくスムーズに吹き上がり、どんな走行シーンでも心地いい加速性能が味わえた。
 ライバルとの大きな違いは、その軽快感である。高出力ユニットを搭載し,駆動方式がFRのセリカやシルビアは、パワーを無理矢理ねじ伏せる,ある意味豪快だが、古典的な走り味の持ち主だった。対してプレリュードは、さらっと、した走り味が特徴。ワインディングロードでハイスピードを保つドライビングにトライしても、ドライバーに肉体的な負担を求めず、平常心をキープしたまま走り切ることができた。軽やかで、リニアなドライビング感覚は、当時新鮮な驚きを持って評価された。とくにアメリカでは、「ホンダのミラクル技術が創造した新感覚クーペ」として独自のポジショニングを得る。

着実な改良で完成度をアップ

 プレリュードは、1980年1月に電動ガラスサンルーフ仕様を設定。さらに4月には、エンジンをよりパワフルで燃費性能に優れたCVCC-II仕様に積み替えるなどのリファインを実施。完成度を高める。新エンジンは1750ccの排気量は従来と共通。センタートーチ型燃焼室とラピッド・レスポンスコントロールシステムを組み込みMT車用で95ps/5300rpm、14.3kg・m/3500rpmの出力/トルクを発揮した。最高出力は5ps、最大トルクは0.8kg・mのアップ(ともにMT比)である。

 装備関係も充実し、XRグレードはハロゲンヘッドライト、新形状オーバーライダー、フットレストを標準化。さらにBSポテンザのハイグリップ仕様タイヤをオプション設定した。EとXEには、4スピーカー仕様のAM/FMマルチラジオ付きカセットカーステレオをビルトインし、快適性を一段と高めた。メーター回りの意匠も変更され、機能性が一段と高まった。

プレリュードの提案は2代目で結実

 初代プレリュードは、リファインを受けながら1982年まで生産。ハンドリングをはじめとする卓越した走行性能は国内外で高く評価されたが、販売成績で見ると、日本では必ずしも大成功とはいえなかった。
 しかし初代で培ったスペシャルティカー作りのノウハウは2代目(AB型・1982年1月デビュー)に受け継がれ、大ヒットモデルに成長する。
 2代目の成功の要因は、いちだんと造形をスタイリッシュに仕上げた点を筆頭に、エンジンのパワーアップ、後席の居住性を高めた2+2パッケージング、お買い得感の高い価格設定など、さまざまだった。初代はその魅力を上質なオブラートで包み込んだ、いわば“通好みのクルマ”だったが、2代目はストレートに魅力を主張する“分かりやすいクルマ”だった。

 2代目の人気は凄まじく、当時は大学生の乗りたいクルマとしてトヨタ・ソアラとナンバー1を争うほどだった。ちなみにこの頃、プレリュードのようなスタイリッシュなスペシャルティカーは“デートカー”とも呼ばれていた。
 ホンダは積極的な車両開発で定評があるが、1970年代は今以上にアバンギャルドなクルマを送り出していた。初代プレリュードはその象徴。先進的なコンセプトを具現化したスペシャルティクーペだった。ユーザーニーズの一歩先を行く存在だったが、ちょっと進みすぎていたことも確かだった。だからこそユーザーニーズにジャストとなるよう軌道修正した2代目が誕生。大成功を収めたのである。