ピアッツァ 【1981,1982,1983,1984,1985,1986,1987,1988,1989,1990,1991】

ジウジアーロ・デザインの前衛スペシャリティ

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「クラブのエース」を忠実に再現した”を忠実に再現した前衛スタイリング

 名車117クーペの伝統を継承し、1981年5月にデビューした新しいスペシャリティクーペがピアッツァ(Piazza)である。車名のピアッツァとは、「広場」を意味するイタリア語だ。

 いすゞのイメージリーダーとして生まれたピアッツァは、全くの新設計というわけではなかった。メカニズムの基本的なベースとなったのはジェミニ。1974年秋に発売されたアメリカGMのグローバルカー構想により、ドイツのオペル・カデットと兄弟車となる小型乗用車である。シャシーやサスペンションなどはジェミニのものが使われた。ピアッツァのプロトタイプは、1979年のジュネーブ・モーターショーに、カロッツェリア・ギアの展示ブースに展示されたジウジアーロのデザインによる試作車「アッソ・ディ・フィオーリ(イタリア語でクラブのエースを意味する)」だった。

 量産化に際しては、プロトタイプのオリジナリティをほとんど壊すことなく、スタイリングやインテリア・デザインはきわめて忠実に再現されていた。当時の日本車には珍しいことであり、それだけジウジアーロのオリジナル・デザインが量産化を前提にした現実的なものであったことが伺われる。同時に見事に量産化したいすゞ技術者の手腕も賞賛に値した。

外観は先進フラッシュサーフェス処理

 ピアッツァのスタイリングは2ボックススタイルの2ドア/4名乗りのハッチバッククーペとなっており、バランスに優れた美しいボディラインを持つ。特に4方のウィンドウはボディパネルと段差がない、いわゆるフラッシュサーフェスとなっており、空気抵抗の減少とともに高速走行時における風切り音の低減にも貢献する。当時はドアミラーが認可されておらず、巨大なフェンダーミラーがボディラインを壊しているが、これは仕方のないところだ。

 ピアッツァはプロトタイプとなった「アッソ・ディ・フィオーリ」と比較して各部のサイズが一回り大型化していた。ホイールベースと全幅が35mm拡大され、全高は22mmアップ、前後トレッドもそれぞれ30/35mmワイド化された。高級スペシャルティモデルだった117クーペの後継車だけに、各部に余裕を持たせたのである。

 インテリアもジウジアーロならではの意表を突いたもので、計器類は巨大なクラスターに収められ、上級モデルはデジタル表示になっていた。さらに、ヘッドライトの切り替えやウィンカー、エアーコンディショナーのコントロールなど主要な操作系はメータークラスター左右に配置した操作パネルに集中的に置かれている。

 サテライトスイッチと呼ぶこのデザインもジウジアーロによるものだ。ステアリングは中央にいすゞのエンブレムを置いた変形2本スポーク型で、メーター類の視認性を妨げることはない。また、後部シートは4段階のリクライニング機構を備え、後席の居住性も十分考慮されていた。

DOHCエンジンは135psの高出力を発揮

 フロントに縦置きされ、後ろ2輪を駆動するエンジンは排気量1949ccの直列4気筒ユニットで、電子制御燃料噴射装置を備えて135ps/6200rpmの出力を持つDOHC仕様と120ps/5800rpmのSOHC仕様の2種があった。いすゞのお家芸であるディーゼル仕様はない。トランスミッションは4速オートマチックと5速マニュアルがあり、当初SOHCエンジン仕様にはオートマチック・トランスミッションは装備されなかった。

 ブレーキは4輪ディスクとされ、タイヤはDOHC仕様とSOHCの上級版が185/70HR13、ベーシックモデルは165SR13サイズとなる。価格(東京地区)はエアーコンディショナーさえも省略して166万円としたものから最豪華仕様の255万5000円までとなっていた。価格的にはトヨタのソアラやセリカXX、日産のフェアレディZやレパードなどに匹敵するレベルにあった。

 いすゞという、個性的なメーカーだからこそ可能となったピアッツァの量産化であったわけで、1980年代初期の国産車としては異例ずくめのモデルとなった。名車の一つである。

ピアッツァはクーペ3部作の真打ち

 ピアッツァのプロトタイプは前述のように1979年のジュネーブショーに出品された「アッソ・ディ・フィオーリ」だった。この流麗なクーペはジウジアーロによるクーペ3部作の真打ちだった。

 最初のモデルは1973年フランクフルトショーに出品された「アッソ・ディ・ピッケ」(スペードのエース)。アウディ80をベースにしており鋭角的なスタイルが大きな話題を呼ぶ。そして2番目は1976年のトリノショーでベールを脱いだ「アッソ・ディ・クワドリ」(ダイヤのエース)。こちらはBMW320がベースでラウンディッシュな造形はアッソ・ディ・フィオーリ=ピアッツァにかなり近い。

 ジウジアーロがクーペ3部作で追求したテーマは優れた空力特性と、快適な居住性、そしてスポーティな味わいだった。とくに空力特性には力を注いでおり、ボディパネルとウィンドウの段差をなくしたフラッシュサーフェス処理や低いノーズ回りなど、スポイラーなどの付加物なしで良好な特性を示すように仕上げていた。ちなみにピアッツァのCd値はトリノ工科大学の実車風洞による実測値で0.36をマークしている。クーペ3部作のうち、量産化されたのはアッソ・ディ・フィオーリ、すなわちピアッツァのみだった。