未来のクルマ01 【1995〜2003】
世界初!内燃機関+モーター車の登場
地球温暖化の問題が徐々にクローズアップされ、エルニーニョ現象や海水温の上昇、世界規模での異常気象などがマスコミで騒がれ始めた1990年代の中盤。自動車業界では省エネルギーやCO2削減などが研究テーマとなり、環境対策エンジンの開発にしのぎを削っていた。
そのなかで現実可能な技術として注目されたのが、内燃機関のガソリンエンジンと電気モーターを組み合わせた「ハイブリッド(複合)」システムの動力源である。内燃機関とモーターの2種類の動力源を持つハイブリッドの歴史は意外に古い。1896年にはかのフェルディナント・ポルシェが基礎技術を発表し、オーストリアのローナー社で「Mixte」が製造された。
1915年になるとアメリカのウッズ社でもハイブリッド車が開発される。ただし、この頃のハイブリッド車はガソリンエンジンのパワー不足を補うためにモーターを使用するというコンセプトで作られていたため、高出力エンジンが製造され始めるとハイブリッドの動力源は廃れてしまった。
ハイブリッド車が再び注目され始めたのは、石油ショックや大気汚染問題が深刻化した1970年代以降だ。このときは燃料消費率の削減と排出ガスのクリーン化の手段として、ハイブリッド車が注目された。そして1970年代末から1980年代にかけて、さまざまなメーカーからハイブリッドの試作車が発表される。ただし、これらのモデルはコストや重量増などの問題で量産化には至らなかった。
数々の課題を抱えたハイブリッド車。しかし、量産化を予感させる画期的な1台が、1995年10月開催の第31回東京モーターショーで披露される。トヨタがコンセプトカーとして出品した「プリウス」だ。“EMS”(エネルギー・マネジメント・システム)と名づけられたハイブリッドシステムは、従来よりもコンパクトで、しかもコスト面でも優れていた。
1997年3月になると、トヨタはEMSを発展させたTHS(トヨタ・ハイブリッド・システム)を発表する。新開発の高膨張比サイクル1.5L直列4気筒エンジンに交流同期電動機のモーターを組み合わせ、さらにニッケル水素電池を搭載したハイブリッドシステムは、動力分割制御による高効率運転を可能としていた。
このシステムは、「シリーズ+パラレル併用式」と呼ばれる。ハイブリッドの方式は、エンジンとモーターが直列に連なり、エンジンで発電機を回し、そこで発生した電力を利用してモーターで駆動する「シリーズ式」と、エンジンとモーターを並列に配置し、双方を走行に使用する「パラレル式」に大別できる。この2つの方式のいいところを取り、パラレル式で使われるモーター(兼発電機)とシリーズ式で使用される発電機を備えたのが、THSの特徴だった。
THSの技術発表から約7カ月後、量産ハイブリッド車の「プリウス」が満を持してデビューする。1NZ-FXE型1.5Lエンジンと1CM型モーターを組み合わせた動力源は、10・15モード燃費28km/Lという従来の同クラスのガソリンエンジン車に比べて約2倍の燃費を実現し、さらに排出ガス中のCO、HC、NOxは規制値の約10分の1に抑え込んでいた。
プリウスのデビューから2年ほどが経過した1999年9月、本田技研からパラレル方式の「ホンダIMA」を採用した「インサイト」が発表される。さらに2000年4月には、日産自動車が「ティーノNEO HYBRID」を100台限定で販売した。
2001年に入ると、6月に「エスティマ・ハイブリッド」、8月に「クラウン・ハイブリッド」、12月に「シビック・ハイブリッド」がデビューする。2002年にはダイハツ工業から「ハイゼットカーゴ」のハイブリッドが、2003年にはスズキから「ツイン」がリリースされた。
「ハイブリッド車は燃料電池車(FCV)に移行するまでの短期で過渡的な存在」と言われたが、その寿命は当初の予想以上に長く続く。プリウスやシビックはフルモデルチェンジを実施して効率性を高め、さらにハイブリッド車のモデルラインアップも「レクサスLS600h」などの高級車カテゴリーにまで広がった。FCVにはコスト面や航続距離、インフラの整備など、まだまだ乗り越えなければならない課題が多い。そのため、環境対策車としてのハイブリッドカーの存在価値は、2000年代後半に入っても高い状況を維持した。日本、とくにトヨタはこの分野のトップメーカーであり、レオナルド・ディカプリオなどハリウッド・セレブのユーザーも多い。