テラノ 【1986,1987,1988,1989,1990,1991,1992,1993,1994,1995】
米国デザインのスタイリッシュSUV
日本の「ヨンク」ブーム。
各自動車メーカーも、その流れに対応した
新型車を次々と開発する。
日産は米国で基本デザインを描いた
新種のSUVを1986年にリリースした。
かつてはその駆動形式から「ヨンク」と呼ばれたSUVの開発は、1970年代ごろから流行し始めたアウトドア・ブームに端を発する。山や海に出かけるための足として最適のクルマを、多くのユーザーが欲し始めたのだ。
1980年代に入ると、日本の自動車メーカーはアウトドアレジャー用の本格的なクルマをリリースするようになる。模範としたのは米国のスポーツ・ユーティリティ・ビークル(SUV)。小型ピックアップのシャシーを使ってハードトップのボディを被せたその手法は、優れた走破性と高い利便性、そして限られた予算と時間のなかでクルマを造るのに最適だった。
各メーカーがヨンクの開発を積極的に進めるなか、日産自動車は他社より一歩踏み込んだ手法を採用する。SUVを知り尽くした米国の地で基本デザインを手掛けるという戦略だ。白羽の矢を立てたのは、同社がカリフォルニア州に設立していたニッサン・デザイン・インターナショナル(NDI)だった。
NDIは当時アメリカで流行していたデザインを新型SUVに投入する。それはピックアップの土臭さやハードなイメージを排したスタイリッシュな外観デザインだった。ボディは現地で人気の2ドアで、各部をフラッシュサーフィス化して流れるようなラインを構築する。ガラスエリアも広くとり、センターにはユニークな三角窓を設置した。滑らかに盛り上がる前後のブリスターフェンダー、シックなイメージでまとめたフロントマスクなども個性を主張していた。
メカニズムに関しては可能な限り他車と共通のパーツを使用し、チューニングを見直して装着する。ダブルウイッシュボーンのフロントサスペンションはダットサン・ピックアップから、5リンクのリアサスペンションは開発途中だったY60系サファリから流用。上級仕様にはアジャスタブルダンパーを奢った。駆動方式はFRと4WDの切り替えが可能なパートタイム式で、エンジンは新世代ディーゼルのTD27型2.7L直4を搭載する。パワーステアリングは全グレードに装備された。
1986年8月、新しいSUVが「テラノ」のネーミングでデビューする。車種展開はワゴンとバンを設定し、ワゴンにはR、バンにはAのグレード名が付けられた。
既存のヨンクとは大きく異なるテラノの都会的なスタイリングは、たちまち自動車マスコミ界の注目を集め、「新世代のヨンク」として大絶賛を浴びる。1988年には優れた工業デザインに与えられるグッド・デザイン賞も獲得した。テラノは運転ポジションも独特で、それまでのヨンクの高い着座位置とは異なり、一般的な乗用車と同様に低めに設定されていた。乗用車から乗り換えても違和感のない運転感覚−−これもテラノのアピールポイントだった。
テラノはデビュー後も積極的にバリエーションを増やしていく。1987年10月にはVG30i型3L・V6ガソリンエンジン仕様を設定。1988年11月にはディーゼルターボ(TD27T型)を搭載する。1989年10月には待望の4ドアモデルをラインアップし、ガソリンエンジンもVG30E型に変更された。
エンジンが強力になって魅力度を増したテラノ。しかし、販売成績面では三菱パジェロやトヨタ・ハイラックス・サーフの後塵を拝した。その大きな要因は、皮肉にも力を入れたスタイリングにあった。当時の日本のヨンク・ファンは、スタイリッシュよりもオフロードモデルらしい“押し出し感”を求めたのである。この点でテラノは、明らかに不利だった。
開発陣はテラノに押し出しの強さを加えるための処置を施し始める。1993年1月にはオーバーフェンダーを装着したワイドボディを設定。同時に各部のデコレーションも見直し、外観の力強さを強調する。1994年11月には売れ筋エンジンのTD27T型の出力をアップさせた。
さまざまな努力を試みたテラノだったが、結局パジェロやサーフとの販売差は埋まらず、1995年5月にはフルモデルチェンジを実施して2代目に移行する。その2代目は4ドアボディだけの設定となり、外観デザインも初代より個性が薄いものだった。