CR-Xデルソル 【1992,1993,1994,1995,1996,1997】

前衛オープンスポーツに変身

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FFライトウエイトスポーツという
新カテゴリーを構築したCR-Xは、
1992年にフルモデルチェンジを実施する。
意気揚々とデビューした新型は、
開閉可能なハードトップを持つ
オープンクーペへと一新していた−−。
新しい魅力の創出を目指して−−

 1983年6月にデビューした初代、87年9月に発表された2代目と、CR-XはFFライトウエイトスポーツの進化の道を着実に歩んできた。「スポーツモデルの駆動方式はリアドライブではなくては−−」という定説はCR-Xの進化によって打破され、FFでもスポーティでコントローラブルな走りが楽しめる事実を走り屋に知らしめた。

 そんな状況の中、本田技研の開発陣は3代目CR-Xの企画立案に乗り出す。最初のテーマは、「若者が求めるスポーツ車の楽しみ方とは……」だった。その際に上がったキーワードは“心の解放”で、これを具現化するためにオープンボディーの開発を検討し始める。ちなみにオープン化の路線は、初代から受け継がれる開発テーマともいえた。初代では大型のアウターサンルーフをいち早く設定し、2代目ではグラストップと名乗るガラスルーフ装着車をラインアップする。そして3代目では、いよいよ本格的なオープンボディーに仕立てようとしたわけだ。

 オープンボディーといっても、そこは新しモノ好きでチャレンジ精神旺盛の本田技研のこと、通常のソフトトップや脱着式ハードトップで満足するわけがない。しかも当時はバブル景気真っ盛りのころで、開発資金にも余裕があった。開発陣はさっそく新しいオーブンボディーの設計に着手し、試行錯誤を繰り返しながら、最終的には電動開閉式のルーフを持つハードトップボディーを完成させる。オープン時のボディー形状は、リアピラー部が残るタルガトップとなった。
 オープンボディーの新型は内装設計にも工夫を凝らした。インテリアをエクステリアの一部と考え、“オープンスカイ・カフェテラス”をキーワードに斬新な室内空間を構築しようとしたのである。具体的には、ゴーグルをイメージしたメーターパネル、スポーティなストライプを配したシート、スムーズな風の流れを彷彿させるラウンディッシュなインパネ&ドアトリムなどを採用した。

新感覚オープンクーペの登場

 新コンセプトを導入した新型CR-Xは、1992年2月に市場デビューを果たす。車名にはオープンボディーである事実を示すように、スペイン語で「太陽の〜」を意味するdel Sol(デルソル)のサブネームが付けられた。
 車種展開はB16A型2L・DOHC16V・VTECエンジンを搭載するSiRとD15B型1.5L・OHC16Vユニットを積むVXiの2タイプを設定する。乗車定員は従来の4名から2名に変更。注目の電動開閉式ルーフの“トランストップ”はSiRに装着車を設定し、それ以外のグレードには手動脱着式のオープンルーフを装備した。ちなみに手動脱着式ルーフは人が簡単に持てるように軽量なアルミ材を使用し、電動式は耐久性を重視してスチール材を使っている。

 CR-Xデルソルは走りのメカにもこだわった。足回りは基本的に5代目シビックの四輪ダブルウイッシュボーンを流用するが、ダンパーの減衰力などは固めの方向にセッティングし、スポーティな味つけを施す。また5速MTのシフトストロークはショート化され、さらにSiRの5速MT車は排気音をスポーティにチューニングした。

市場では賛否両論の評価

 ライトウエイトスポーツからオープンスポーツに一新し、より多くの若者ユーザーにアピールしようとしたCR-X。しかし、市場の反応は賛否両論だった。
 賛同派はトランストップの先進性やオープンクルーズの快適性に注目し、個性的なモデルとして高く評価する。一方、CR-Xにライトウエイトスポーツならではの俊敏な走りを求めていたユーザーからは否定的な意見が続出。「オープンボディーよりも、走りのメカニズムにこだわってほしかった」という苦言が呈された。
 結果的には後者の意見を持つユーザーが多かったようで、CR-Xデルソルの販売台数は予想外に伸び悩む。また、一時的ではあるが2代目CR-Xの中古車相場が上がるという現象も発生した。

 開発陣はCR-Xデルソルの魅力度を高めるために、さまざまなモデル追加やマイナーチェンジを実施する。しかし、販売成績は改善しない。その内にバブル景気の崩壊と四駆ブームに対する出遅れで、本田技研の経営状況は逼迫し始めた。不採算車種の整理を余儀なくされた同社は、97年をもってCR-Xデルソルの生産を中止する。次期モデルが企画されることはなく、開発スタッフと資金はクリエイティブ・ムーバーと呼ぶRV群の開発に回された。
 もしオープンスポーツではなくライトウエイトスポーツとして進化し続けていたら……。CR-Xの寿命は21世紀まで伸びていたかもしれない。登場が早すぎた名車である。

COLUMN
日本よりも欧米市場で高く評価されたデルソル
 日本ではあまり販売台数が伸びなかったCR-Xデルソル。しかし、欧米市場での注目度は非常に高かった。北米向けは「シビック・デルソル」、欧州市場では「CRX」の名でリリースされたオープンモデルは、太陽の光を浴びて走ることが大好きな欧米人の心をがっちりと捉え、日本以上に高い人気を獲得する。そのコンセプトは、90年代末から2000年初頭にかけて相次いでデビューする量産モデルベースの電動開閉式ハードトップ車の参考にもされた。