コンソルテ・ベルリーナ 【1969,1970,1971,1972,1973,1974,1975,1976,1977】

トヨタとの提携で生まれた新大衆車

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後発乗用車メーカーとしての悲哀

 三輪トラックのシャシーを使った四人乗り乗用車「Bee(1951年)」など、ユニークなクルマ作りで知られる大阪池田市に本社を構えるダイハツは、三輪トラックの生産で培った技術を生かして、軽三輪トラックの「ミゼット」を1958年に発売、たちまちこのクラスのトップメーカーとなった。
 日本が経済的にも成熟して来た1960年代になると、本格的な乗用車生産への進出が計画された。まず登場したのが、1961年にデビューした「コンパーノ・バン」と名付けられたステーションワゴンだった。イタリアのカロッツェリア、ヴィニャーレによるスタイリッシュなワゴンは注目を集め、乗用車仕様の登場も近いと思われた。果たして2年後の1964年2月、2ドアセダンとなった「コンパーノ・ベルリーナ」を発売し、ダイハツは乗用車メーカーとなったのだった。

 国産車とは思えない、垢抜けしたスタイルと、十二分の性能を持った「コンパーノ・ベルリーナ」は、1965年11月には、4シーター コンバーチブルの「コンパーノ・スパイダー」を加えるなどシリーズの充実を図ったが、シェアが大きく伸びることはなかった。長年の三輪トラックメーカーというイメージが災いしたのかもしれない。ダイハツは1960年代半ばに起こった業界再編成の波に巻き込まれるかたちで、1967年11月、トヨタ自動車との業務提携を締結する。

トヨタと提携。パブリカをベースに独自車を販売

 1969年4月に発売された小型乗用車の「コンソルテ」は、ダイハツとトヨタの業務提携後初めて出た新型車であったが、それは「トヨタ・パブリカ」のダイハツ版といえる車であった。「トヨタ・パブリカ」は、同年3月にフルモデルチェンジされてスタイルを一新、従来の空冷水平対向2気筒エンジンのほか、水冷の直列4気筒エンジンを搭載するモデルもあった。この水冷エンジン付きパブリカを、ダイハツ流にアレンジしたものが「コンソルテ」だった。

 コンソルテに搭載されるエンジンは、コンパーノ時代から使われているダイハツ製の水冷直列4気筒OHVで、排気量は958cc、出力は58ps/5500rpm、トルクは8.0kg-m/4000rpmとなっていた。4速トランスミッションもダイハツ製のコンパーノに使われていたものの流用だが、シフトフィールはパブリカより良かった。そのほかの点でパブリカとの違いは、エクステリアではフロントグリルとテールライトのデザイン、インテリアではシートや内装の素材やデザインなどが、ダイハツ固有のものになっている。3点式シートベルト、パーキングフラッシャーなどはパブリカ同様、標準装備されている。
 コンソルテ・ベルリーナはメーカーの合従連衡の結果生まれた、面白い成り立ちを持った名車である。