ジープ(J3) 【1954,1955,1956,1957,1958,1959,1960,1961,1962,1063,1964,1965,1966,1967,1968,1969,1970,1971,1972,1973,1974,1975,1976,1977,1978,1979,1980,1981,1982,1983,1984,1985,1986,1987,1988,1989,1990,1991,1992,1993,1994,1995,1996,1997,1998】

大地を駆け抜けた生粋ワークホース

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4輪駆動車の先駆大活躍

 4輪駆動車のルーツは第二次世界大戦前にまで遡る。ヨーロッパでの第二次世界大戦開戦を間近にした1940年7月、アメリカのペンシルバニア州バトラーにあったアメリカン・バンタム社が、アメリカ陸軍の要請に応じて、オフロード性能に優れた小型4輪駆動車を開発した。これがジープ(Jeep)の基となるモデルだった。以後、第二次世界大戦中だけでも生産を請け負ったフォード社やウィリス社で75万台以上も量産され、戦争終結を早めるのに貢献した。

 このJeepを、敗戦後の復興と後に自衛隊となる警察予備隊のために、財閥解体で4分割された三菱重工の一つ、中日本重工が当時アメリカのジープ・メーカーだったウィリスオーバーランド社と契約し、1953年からノックダウン方式(本国から部品を輸入して国内で組み立てる生産方式)によるライセンス生産を始めたのが国産の三菱ジープだ。当初は、アメリカ軍が使っていたものと同じJ3型だったが、徐々に国産化比率を高め、ステアリング位置を左側通行に即して右側に移すなど、日本の国土に見合った改良を加えながら、1955年末頃には完全な国産化を達成した。記録が残っている生産台数は、1953-54年が2930台、1957年には3989台、1958年5437台、1961年は9659台にも達した。メインユーザーは自衛隊のほか、建設、林業、電力関係、各自治体で、あくまでそのタフな走破性を評価しての選択だった。

世界初のディーゼル搭載

 搭載されるエンジンはハリケーンと呼ばれた水冷直列4気筒Fヘッド(吸気がOHV、排気がSV)と特殊なもので、排気量は2199cc、出力は65ps/4500rpmと非力だったが、最大トルクが15kg・m/2000rpmと強かったため、特に悪路での走破性や定置動力源としての使用範囲が広かった。トランスミッションは3速、それに2速のトランスファー・ギアを組み合わせて、エンジンのトルクを前後輪に配分した。電子制御などは一切無く、2輪駆動から4輪駆動への切り替えなどはすべてドライバーの手動による。また、1955年頃には三菱製2199cc/70psのJH4型ガソリンエンジンを搭載。1956年頃からは独自開発の直列4気筒2659ccのディーゼルエンジン・モデルも登場させている。このディーゼルエンジンの採用は、世界各国でライセンス生産されていたジープでは最初のものとなった。

自衛隊を支えた働き者

 1960年代に入ると4ドアのワゴンボディや、ロングホイールベースのメタルボディ仕様などバリエーションを充実。トランスミッションをコラムシフトとし、前席3名掛けを可能にしたモデルもラインアップに加わる。少数派ではあったが、ジープをRVとして使用する先進的なユーザーも目立つようになった。
 アメリカ陸軍では、1950年代末には第二次世界大戦型のジープは退役していたが、日本では警察予備隊から保安隊、そして自衛隊に至るまで三菱ジープを使い続けていた。無駄がまったくないフォルムと、タフそのもののメカニズムは、道具として一級品。時の流れを超越した本物の“ワークホース”といえる。