シティ 【1986,1987,1988,1989,1990,1991,1992,1993,1994】

2代目はロー&ワイドに大変身

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新世代コンパクトカーを目指して

 1981年10月に“トールボーイスタイル”で華々しくデビューした初代AA型シティ。広くて高い室内空間を内包した独特のルックスは、若者を中心に大人気を博した。
 ヒット作のフルモデルチェンジは、あまり基本コンセプトを変えない--。そんな業界の定説に対し、本田技研のエンジニアは真っ向から勝負を挑む。高性能と感性の領域を高次元で融合させる「ヒューマンフィッティングテクノロジー」をテーマに掲げ、若者が求める新世代のコンパクトカーを構築したのだ。
 2代目シティの具体的な開発目標は2点。「動力性能、走行性能、経済性など機能、効率の徹底追求」と、「運転する人の感覚を尊重し、感性の領域まで満たすクルマ造り」である。結果として結実したスタイリングは、ロー&ワイドの低重心フォルムにロングホイールベースを組み合わせた、初代とは全く異なる造形だった。ただし本田技研にとって、このアプローチ方法は未知の設計ではなかった。初代JW型トゥデイや3代目A型系シビック、3代目CA型アコード、2代目AB型プレリュードなどの開発で培った低重心フォルムの優位性を明確に把握し、絶対の自信を持っていたのである。
 後にクラウチングフォルムと名づけられた2代目シティのスタイリングは、低重心と同時に徹底したフラッシュサーフェスと軽量化が実施される。さらに搭載するエンジンも、1カム・16バルブのヘッド機構を持ち、軽量で高剛性のアルミロッカーアームや4連アルミシリンダーブロックを採用した1.2Lユニットを新たに開発した。

大胆に変身した2代目

 1986年10月、2代目となるGA型シティが満を持してデビューする。グレード展開はシンプルに、GG/EE/BBの3タイプとした。注目の車重は700~720kg。この軽量ボディに低い重心、さらにワイドトレッドや俊敏に回るエンジンがもたらすパフォーマンスは、ライトウエイトスポーツと呼んでも遜色のない出来栄えだった。
 室内空間も外観から想像するよりはずっと広かった。高さ方向の開放感は初代モデルより劣るものの、タイヤを四隅に配して獲得した室内長は、ひとクラス上の居住スペースを実現していた。さらにフラッシュサーフェス化によって実現した風切り音の少なさも、先代にはない特徴だった。

 走りの性能や快適性に磨きをかけた2代目シティ。しかし、人気の面では初代モデルほど注目を集めなかった。初代のトールボーイのイメージがあまりにも強すぎた、外観がシンプルすぎて存在感が薄かった、中心ユーザーの一角である女性層にウケなかった……。理由は色々と挙げられた。
 開発陣はテコ入れ策として、シティにさまざまな改良を加える。女性向けの装備を加えた特別仕様、本革シートと専用ストライプを装着した豪華仕様。1988年10月にはマイナーチェンジを実施し、1.3L+PGM-FIエンジンの搭載や内外装のリフレッシュを敢行した。
 開発陣の努力は、しかし結果的に徒労に終わり、販売成績は低調のまま推移する。そして1994年には販売中止が決定され、一世を風靡したシティの名は新車市場から消滅してしまうのである。

真価を発揮したフィールドは--

 販売成績の面では初代を凌ぐことができなかった2代目シティだが、あるファン層からは絶大な支持を集めた。低重心で軽量ボディ、パワフルなエンジン、しかもコーナリングスピードが高くてハンドリングもいい--そんな特性に注目したモータースポーツの愛好家たちである。
 2代目シティはジムカーナやダートトライアルなどのベースマシンとして活用され、全日本や地方選手権で数々の勝利を挙げていく。やがて「モータースポーツでFFの基本を覚えるなら、まずGA(2代目シティ)に乗れ!」というのが、ベテランからのアドバイスとして定着するようになった。開発陣の努力は、結果的にモータースポーツの現場で真価を発揮したのである。