MR2 【1989,1990,1991,1992,1993,1994,1995,1996,1997,1998,1999】

俊足ミドル級リアルスポーツへの進化

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初代MR2が味わった先駆の悲哀

 トヨタ初の本格的なミッドシップ・エンジンの2座席スポーツカーとして、初代のMR2が登場したのは1984年6月であった。車名のMR2はミッドシップ(Midship)・エンジンのランナバウト(Ruuabout)で2シーターであることを意味する。最初のモデルであるにも拘らず、車名がMR1でなかった理由はここに在った。度重なるティーザー(焦らし)広告や正式な発表まで主要なスペックを一切洩らさなかったことなどで、いやが上にもユーザーの期待は盛り上がったものであった。

 しかし、実際に販売が開始されると、ハンドリングやミッドシップ・エンジンの特徴を生かした走行性能の高さは、一部のエンスージャストやスポーツ好きのドライバーからは好評を博したが、2シーターであること、トランクスペースの絶対的な不足など、実用性の低さは一般的なドライバーには受け入れられるものではなかった。結果的に販売台数は期待されたほどは伸びなかった。1980年代半ばの日本のクルマ社会は、MR2のような新価値を問うクルマを正しく評価できるレベルには無かったのだ。

スポーツカーに進化した2代目の意味

 初代MR2のデビューからほぼ4年を経た1989年12月、MR2はフルモデルチェンジを受けて装いも新たに、真のミッドシップ・スポーツカーとなって登場した。初代MR2との共通点は、エンジンをミッドシップ配置する2シーターであるということだけであった。ベースシャシーからスタイリングに至るまで新旧で共通する部分はなかった。2代目の車型は固定ルーフのクーペと、セミオープンのTバールーフの2タイプで、モデル・バリエーションはそれぞれに標準仕様のG、装備品を豪華にしたG‐Limited、そして最強のインタークーラー付きターボチャージャー装備のエンジンを搭載するGTの3種があった。

 3車種とも搭載するエンジンは排気量1998㏄の水冷直列4気筒DOHC16バルブで、ターボの有無で2種に分けられる。GおよびG‐Limitedでは自然吸気型で電子制御燃料噴射装置と10の圧縮比から165ps/6800rpmの最高出力を得ている。車重は1160kg(G)と比較的軽いから、性能的には不足はない。これが、最強のGTでは、225ps/6000rpmを発揮するインタークーラー付きターボチャージャー装備のエンジンとなり、0→400m加速が14.1秒という目覚ましい高性能車となる。メーカーでは“目の覚めるような動力性能の実現”を開発コンセプトのひとつに掲げていたが、確かにパフォーマンスは一級品だった。絶対的な性能とバランスに優れたスタイリングから言えば、ライバルはヨーロッパ製のミッドシップ・エンジンの高性能車だったのだ。

ミッドシップの夢と限界

 しかし、余りにもミッドシップ・エンジンであることを意識し過ぎたハンドリングと実用性の低さは、初代のMR2と変わるところは無かった。むしろ、初代の欠点を洗い直し、サスペンションを柔らかくして乗り心地を向上させ、室内スペースを拡大して居住性を良くするなど、クルマとしての要件をかなり乗用車的に変えたのがスポーツカーとしての完成度という面では裏目となった。

 新型MR2の絶対的なパフォーマンスは、ミドル級スポーツカーとして素晴らしいものだった。しかしその走行安定性はけっして褒められるものではなかったのだ。とくに悪天候時のワインディング路や、高速道路ではドライバーに細心の注意を求めた。メーカーは積極的にシャシーの改良に取り組み、マイナーチェンジごとにハンドリング性能は高度になっていった。しかしながら、MR2の人気は上向くことは無かったのである。その大きな理由は、182万円から263万8千円という価格にも見られるように、高性能スポーツカーとしてのある種のステイタス性に欠けていたことであった。ユーノス(マツダ)・ロードスターと比べて、はるかに先進的であり、しかも本格派の味わいも持っていたが、ポジション的にいささか中途半端だったのだ。いっそ後年登場するホンダNSXのように、量産車からの部品流用をせず、1000万円近い高価格でも売り出したならMR2の命運も変わっていただろう。MR2はミディアムクラスにこだわったことの試練を味わうことになったのである。