スカイラインGT-R(ケンメリ) 【1973】

197台で表舞台から去った悲運のR

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ポルシェとの闘いで神話を樹立!

 鈴鹿サーキットで開催された1963年の第1回、続く翌年1964年の第2回日本GP自動車レースは、日本のモータースポーツの扉を開いたイベントとして歴史的なものである。中でも、ワークスチームが激突した第2回日本GPは、プリンス自動車が急遽開発したスカイラインGTとプライベート参加したポルシェ904の一騎打ちが話題となった。結果としてスカイラインGTは2位となるのだが、最新型ポルシェ904とほぼ互角の勝負をしたスカイラインGTの人気はいやが上にも高まった。今日に続くスカイライン神話の始まりである。

 第2回日本GPに出場したスカイラインGT(限定100台を生産)を熟成したモデルが、1965年2月からカタログモデルとして発売されたスカイライン2000GTであった。その後同年9月にシングルキャブレター仕様車をGT-Aとしたことから、3基のウェーバー製キャブレターを装備した上級仕様をGT-Bと呼んだ。このモデルこそがレッド地のGTエンブレムを持つGT-Rのルーツとなった。

R380の心臓を移植したGT-R!

 初代のGT-Rは、1969年2月に新型となったスカイラインの4ドアセダンにプロトタイプ・レーシングマシンであるR380用をベースにしたS20型直列6気筒DOHC24バルブ・エンジン(160ps)を搭載する。4ドアセダンのPGC10型 GT-Rは外観上ノーマル仕様のスカイラインとほとんど変り無く、それゆえ「羊の皮を着たオオカミ」と呼ばれることも多かった。1970年10月にはより運動性能を高めたKPGC10型が2ドアハードトップのボディを纏ってデビューする。

プロトタイプは1972年モーターショーに出品!

 通称“ケンメリGT-R”のプロトタイプは、1972年10月の東京モーターショーに「SKYLINE IMAGE CAR」の名称で参考出品された。プロトタイプはブルーのボディに“73”のゼッケンとゴールドストライプを配し、大胆なオーバーフェンダーと前後スポイラーを持ったレーシング仕様だった。日産ではこのショーカーの脇に当時の人気ワークスドライバーだった高橋国光選手を立たせた特製ビジュアルも作成している。

 市販モデルのKPGC110型は1973年1月にモデルチェンジする。ボディはプロトタイプと同様に2ドアハードトップがベースで、FRP製のテールスポイラーや前後のオーバーフェンダー、そして専用グリルとリアガーニッシュに付けられたGT—Rのエンブレムが、このクルマがただ者ではないことを示していた。

トップスピードは堂々の200km/h!

 搭載されるエンジンは、基本的にはPGC10型以来の直列6気筒DOHC24バルブ。オルタネーター容量が大きくなり、燃料タンクが小型化されるなどの変更が加えられている。エンジン排気量は1989ccで9.5の圧縮比とソレックス型(N40PHH-3)のツインチョークを持つサイドドラフト・キャブレター3基を装着し、160ps/7000rpmの最高出力と18.0kg・m/5500rpmの最大トルクを得ていた。当時の2.0リッター・クラスの市販車用エンジンとしては抜群の高性能である。車重は1145kgと決して軽くなかったが、最高速度は200km/hが可能だった。価格は162万円と、当時としては高価格であったが、その性能からすれば十分に納得出来た。

 KPGC110型GT-Rは誕生したタイミングが良く無かった。1960年代末ころから世界的に拡がりつつあった省エネルギー指向と排気ガス浄化規制の波は、高性能であるが故の燃費の悪さと排気ガス浄化への対応の遅れを目立たせることになった。かくて、KPGC110型スカイラインGT-Rは、197台を生産したところで生産打ち切りとなった。台数は少ないものだが、歴史的な意味のあるモデルであることは変わりがない。名車である。