スバルデザイン2 【1966,1967,1968,1969,1970,1971,1972,1973】

軽自動車と小型車の大胆なデザイン改革

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“ハード・ミニ”を謳った新世代軽乗用車

 1958年3月に軽乗用車のスバル360を、1961年2月には荷台を最大化するためにキャブオーバー化した軽商用車のスバル・サンバーを、そして1966年5月にはFF方式の導入を踏まえてデザインした小型車のスバル1000を世に送り出した富士重工業。独創性にこだわる同社の開発姿勢は、高速道路網の伸長に伴う、いわゆる“高速時代”におけるクルマの企画作りにおいても存分に発揮された。

 1969年7月には、スバル360の実質的な後継モデルとなる「スバルR2」を発表する(発売は同年8月)。基本メカニズムはスバル360を流用しながら、徹底した改良を実施。搭載エンジンは2サイクルの356cc・空冷2気筒(EK33)で、シリンダーを従来の鋳鉄からアルミ合金に変更し、同時に混合気の吹き返しを防ぐリードバルブを追加する。サスペンションは前後ともにセミトレーリングアーム/トーションバーへと刷新。ラック&ピニオン式ステアリングのギア比は従来の20.6から16.2へと速めた。車両デザインについてはホイールベースをスバル360比で120mm延長(1920mm)したうえで、エクステリア全体を柔らかに丸みを帯びた2BOXスタイルに一新。丸目2灯式ヘッドランプと楕円タイプのウィンカーランプ、そして中央部に配置した牡牛座6連星=スバルエンブレムが形作る個性的なフロントマスクは、市場から「愛らしいスタイル」と好評を博す。

 インテリアも改良が図られる。インパネ回りは造形を刷新したうえで、厚いクラッシュパッドを装着。また、突起類をなくしたスイッチ類やゆとりを持たせたペダル配置、視認性に配慮した丸型メーター、座り心地を向上させたシートなどを組み込んだ。

スマートなルックスに変身した2代目サンバー

 乗用車のR2のデザインテーストを先取りしていたのが、軽商用車のサンバーだった、1966年1月に全面改良を実施したサンバーの愛称は“ニューサンバー”で、RRの駆動レイアウトや広い荷台などの特長は従来型を踏襲。一方、キャブオーバー型の車両デザインはより近代化され、丸みを帯びたスマートなルックスに変身した。ボディタイプはトラックとライトバンの2タイプを用意。トラックでは二段広床式の荷台を持つ仕様もラインアップした。

 ニューサンバーの進化は、デビュー後も着々と続いていく。1966年12月には軽ライトバンでは初となるオーバートップ付き車を設定。1968年11月には充実装備のライトバン・スーパーデラックスと平らな荷台を有するトラック・フラットを追加した。

 1970年2月になるとマイナーチェンジを敢行し、通称“ババーンサンバー”シリーズに移行する。搭載エンジンはR2と同様のリードバルブ付き2サイクルに換装。デザイン面ではダミーグリルの装着や前ヒンジ式フロントドアへの変更などを実施した。1972年2月にもマイナーチェンジを行い、通称“すとろんぐサンバー”シリーズをリリースする。ダミーグリルはいっそう大型化され、個性的なフロントマスクでライバル車との差異化を図った。

新機軸のデザインを打ち出した小型車

 軽自動車の刷新を図る一方、開発部隊では小型車の全面改良も鋭意画策する。重視したのは高級化や個性化が進む市場の動向。革新的なメカニズムを満載して玄人受けしながらも販売が伸び悩んだスバル1000およびff-1の反省を踏まえ、徹底したマーケット指向に基づいて新しい小型車の企画を推し進めた。そして試行錯誤の結果、1971年10月にff-1の後継モデルとなる「レオーネ」を発表した。

 レオーネは最初にクーペボディの1400をリリースする。従来モデルとは違ったスポーティでラグジュアリーなイメージを強調したかったからだ。スタイリングは流麗なロングノーズと量感に満ちたサイドライン、ブラックトーンのフロントグリル、カットインタイプのリアコンビネーションランプなどで構成。内装も上級グレードに木目模様のインパネやオーバーヘッドコンソールを配するなど、徹底したグレードアップを図った。メカニズムに関しては基本的にff-1からの流用だが、フロントサスペンションはウイッシュボーン式からマクファーソンストラット式に変更する。レオーネは広告展開も凝っていた。イメージキャラクターに当時、『また逢う日まで』の大ヒットで人気絶頂だった歌手の尾崎紀世彦さんを起用し、CMソングも歌わせて大好評を得る。技術力の高さを強調していたそれまでの富士重工業の広告戦略とは、大きく変わった展開だった。

 当時の自動車マスコミはレオーネを「乗ってわかるスバルのよさ」から「ひと目でわかるスバルのよさ」に変身、と称賛する。自信を深めた富士重工業のスタッフは、すぐさまレオーネの車種バリエーションの拡大に着手した。まず1972年2月には、国産初のフルオープン・サッシュドアを採用した4ドアセダンのレオーネ1400をリリース。その2カ月後には2ドアセダンとスーパーツーリング、エステートバン、1100シリーズなどを追加する。同年8月には、その後の富士重工業のクルマ造りの方向性を決定づける4WDのエステートバンを発表。そして1973年6月には、ネオクラシック調のスタイリングに4灯式のヘッドランプ、カラーコーディネートしたインテリアなどを備えるハードトップを市場に送り出した。