オペルGT 【1968,1969,1970,1971,1972,1973】

手軽なスポーツモデルとして人気を博した個性派GT



戦後、存在感を増したオペルの積極姿勢

 西ドイツ(現ドイツ)の大手自動車メーカーであり、GMグループの欧州大陸の拠点(1929年にGMの資本を受け入れ、1931年には完全子会社化)だったAdam Opel AG、通称オペル社は、第2次世界大戦後の混乱が収まりつつあった1950年代に入ると、新世代乗用車の開発を急ピッチで推し進めるようになる。1953年には中型クラスのオリンピアレコルトを発売。1957年には発展型のオリンピアレコルトPⅡを、1960年にはレコルトPⅡを、1963年にはレコルトAを市場に放つ。そして、1962年には小型乗用車のカテゴリーにも進出し、1リッター級ファミリーカーのカデットAをリリースした。

 新開発のフルモノコックボディや小型で丈夫な993cc直4OHVエンジンなど、進歩的かつ信頼性に富むエンジニアリングを採用していたカデットAは、フォルクスワーゲン・タイプⅠ(ビートル)やフォード・タウヌスといった強力なライバルを横目に、順調に販売台数を伸ばしていく。その人気は欧州市場だけではなく、輸出先の米国市場にも波及。オペルのブランド名は、徐々に認知度を上げていった。

オペルとGMによる小型スポーツカーの模索

 上昇気流をさらに勢いのあるものにするためには−−。オペルの首脳陣は回答策として、欧米市場で人気が高く、しかもブランドの高性能イメージを引き上げることにもつながるスポーツカーの創出を検討する。そして第1段階として、1965年開催のフランクフルト・ショーにプロトタイプのスポーツモデル、「グランツリスモ・クーペ」を出品した。ミディアムクラス車のレコルトのシャシーをベースに、優美な造形の2シータークーペボディを架装したグランツリスモ・クーペは、当初はスタイリングや空力の研究用に製作したものと公表していた(オペルは当時、独ドゥーデンホーヘンにテストトラックを完成させたばかりだった)。一方で、来場者の評価は非常に高く、市販化を望む声が多く聞かれる。また、自動車マスコミなどは、オペルがついにスポーツカー市場に進出か−−と書き立てた。

 ショーでの評判を好感したオペルの首脳陣は、最終的に新しいスポーツモデルの市販化にゴーサインを出す。そして、親会社のGMの意向を踏まえ、米国市場でも通用する小型で扱いやすいスポーツモデル、いわゆるスペシャルティカーの性格に仕立てる旨を決定した。

GTは大衆車カデットをベースに開発

 オペル・ブランドの命運を託した新しいスポーツモデルは、「オペルGT」の車名を冠して1968年秋に市場デビューを果たす。2シーターのクーペボディをまとったGTは、プロトタイプのグランツリスモ・クーペから大きな変更を遂げていた。

 基本骨格については、カデットB(1965年デビュー)用のシャシーをベースに専用のモノコックボディを架装する。駆動レイアウトはフロントエンジン&リアドライブ。ホイールベースはカデットの2415mmよりやや長い2431mmに設定し、コーナリング性能を高めるために前後のトレッドを拡大した。また、サイドシルからルーフにいたる構造材にはロールバーの役目を持たせ、キャビン部の剛性を引き上げる。一方、車体製造および組立に関しては、フランスのコーチビルダーであるブリッソノー・エ・ロッツ(Brissonneau et Lotz)に任せる体制とした。

 懸架機構については、フロントがダブルウィッシュボーンに横置きリーフ、筒形複動ダンパーで構成した独立式とし、箱形断面のサブフレームを介してモノコックボディに組み込む。リアはシングルの鋼管トレーリングアームで前後方向を、パナールロッドで左右方向を支え、同時にコイルと筒形複動ダンパーを配したリジッドアクスルを採用した。また、操舵機構にはコラプシブルコラムを組み込んだラック&ピニオン式を、制動機構にはオイル2系統式のサーボ付き前ディスク/後リーディングトレーリングを導入する。

 搭載エンジンは1.9リッターのS型ユニットである1897cc直4OHC+ソレックス32DIDT4キャブレター(DIN 90ps/5100rpm、14.9kg・m/2500〜3100rpm)と1.1リッターのSR型ユニットの1078cc直4OHV+ソレックスPDSI2キャブレター(DIN 60ps/5200rpm、8.5kg・m/3800〜5000rpm)という2機種を設定。組み合わせるトランスミッションにはフルシンクロの4速MTを採用し、1.9リッター仕様では3速ATも用意する。グレード名は1.9リッター仕様がGT1900、1.1リッター仕様はGT1100を名乗った。

リトラクタブル式ヘッドランプを採用

 車両デザインは、オペルのデザイナーであるエルハルド・シェネル(Erhard Schnell)が主導する。基本フォルムはロングノーズにショートデッキ、後端を切り落としたコーダトロンカなどでウエッジ形のファストバックスタイルを構築。特徴的なリトラクタブル式のヘッドライトは横に180度回って出現する構成で、開閉はシフトレバー横に配した室内のレバーから長いワイヤを介して行う仕組みだった。

 インテリアについては、長距離を快適にクルージングできるようアレンジ。立体的な造形のインパネには大型の速度計と回転計、小型の補助メーター(燃料/水温/電流/油圧/時計)を配し、2座のシートは高いセンターコンソールで仕切られる。シート自体はバックレストがヘッドサポートまでを兼ねたバケットタイプで、接地部には横溝を刻んでいた。また、シート背後に荷室スペースを用意し、その後ろにはスペアタイヤが固定される。室内のカラーリングは、ブラック基調でまとめていた。
 完成したオペルGTの性能は、最高速度がGT1900で185km/h(AT177km/h)、GT1100で155km/hを発揮した。また、0→100km/h加速は同11.5秒(14.5秒)、16.5秒と公表された。

米国でのニックネームは“Son of Stingray”

 GT1900とGT1100の2本立てで市場に放たれたオペルGTは、扱いやすいエンジン特性やスポーティなスタイリングが好評を博し、予想以上に多い販売台数を記録する。とくにGMのビュイック・ブランドでも売られた米国市場でのセールスが好調で、ルックスが似ていることから“Son of Sting Ray”(コルベット・ステングレイの息子)などと呼ばれて高い人気を獲得した。

 オペルGTは輸入総代理店の東邦モーターズを通して、1968年末から日本にも導入される。車両価格は、当時のトヨタ2000GTの238万円に匹敵する235万円(GT1900)と超高価。それでも、他社の欧州製スポーツカーと比べればリーズナブルなプライタグだったので(ポルシェ912で305万円、ロータス・エランで277万円〜)、販売は好調だった。

 オペルGTの新たなバリエーションが発表されたのは、1969年開催のフランクフルト・ショーの舞台。ここでオペルは、GTのタルガトップ版となる「エアロGT」を初公開した。スタイリングを手がけたのは、GMのデザイナーでオペルにも出向していたチャールズ(チャック)・ジョーダン(Charles M.“Chuck”Jordan)。脱着式のブラックルーフに専用デザインのリアセクション、そして開閉が可能なバーチカル(垂直)タイプのリアウィンドウなどを採用したエアロGTは、クーペボディとは別種の華やかで開放的な雰囲気を醸し出していた。

5年あまりの期間に10万台超を販売

 オペルGTは、1970年モデルからは1.9リッターエンジン仕様の1本に絞られる。また、1971年モデルでは一部上級装備を省いたベーシックモデルのGT/Jを追加し、ユーザー層の拡大を図った。
 このまま好調なセールスをキープするかに見えたオペルGTだったが、外的要因がそれを阻害する。米国市場における安全基準の厳格化や排出ガス規制値の引き上げだ。また、1972年にはコーチビルダーのブリッソノー・エ・ロッツの自動車部門がルノーの傘下に入ることとなり、オペルからの委託製造は困難な状況となる。結果的にオペルGTの生産は、1973年に終了した。

 オペル初の本格的な量産スポーツモデルとなったGTは、5年あまりの期間で10万3463台が生産される。そのうち、約7割の7万222台がアメリカ市場に輸出された。オペル・ブランドの高性能ぶりと優れたクルマ造りをワールドワイドでアピールし、スポーツモデルとしては比較的多い販売台数を記録したGTは、まさにオペルの記念碑といえる名作である。