シティ・カブリオレ 【1984,1985,1986】
ピニンファリーナ・デザインのフルオープン
1981年10月にデビューし、コンパクトカーの定番モデルに成長したシティは、その新鮮味を失わないように次々とグレード展開を拡大していく。1982年9月にはホンダ四輪車初のターボチャージドモデルとなるシティ・ターボがデビュー。2カ月後の11月にはルーフを10cm高めた、通称マンハッタンルーフのRタイプ・ハイルーフがラインアップに加わった。1983年10月には前後フェンダーをブリスター化した通称ブルドックのターボⅡが登場。1984年4月にはハイルーフをベースに大型スピーカーボックスを装備したマンハッタン・サウンド仕様が設定された。
1984年7月、それまでの仕様とは大きく異なるオープンカーのシティがデビューする。ターボⅡのボディ回りをベースにソフトトップを装着した国産乗用車初のフルオープン4シーター、シティ・カブレオレだ。オープンボディとソフトトップの開発に関しては、イタリアの名門カロッツェリアのピニンファリーナ社が担当した。
注目のソフトトップは手動開閉式で、ソフトトップ先端の左右に配置したロックハンドルを解除し、持ち上げながら後方に押していけばオープンボディに変身する。ボディ剛性と安全性を確保するためのロールバーは残ったが、それもシティの個性的なルックスにとてもよくマッチしていた。ガラス式リアウインドウ、上下に開閉できるレギュレーター式リアクオーターウインドウ、独立したトランクルームなどを設定していた点も、ユーザーには好評だった。
シティ・カブリオレはカラーリングも凝っていた。ボディカラーは専用色も含めて全12タイプをラインアップ。シートはシックで高級感のあるファブリックタイプと汚れに強くてスポーティなビニールレザータイプの2種類を用意する。左右ドア部に配された“CABRIOLET”のレタリングもユニークで、シティの個性をよりいっそう引き立てていた。
シティ・カブリオレを開発する際にホンダが技術的な協力をあおいだのは、前述のようにイタリア屈指のカロッツェリア、ピニンファリーナ社だった。ピニンファリーナというとデザイン工房というイメージが強いが、実はオープンカーの開発(そして生産)も得意分野。代表作はフィアット124スパイダーやプジョー205/306カブリオレなど。2000年代には三菱コルト・コンバーチブルとフォード・フォーカス・クーペカブリオレを手掛けていた。ちなみにピニンファリーナの最大のライバルであるベルトーネ社もオープンカーの開発は得意。フィアット・プントやオペル・アストラのカブリオレなどを手掛けている。
初代シティは1986年10月にフルモデルチェンジし、トールボーイから一変して低く幅広いスタイルを採用する。カブリオレの追加も期待されたが、結局ファンの願いは届かず、その後のロゴやフィットでも設定されなかった。開発に想像以上の資金が必要で、しかもそれに見合った販売台数を確保できないことが、カブリオレ仕様を設定しない理由だろう。そのぶんシティ・カブリオレの存在意義は大きく、マニアのあいだでは稀少価値の高いモデルとして認知されている。