カローラ 【1966,1967,1968,1969,1970】

プラス100ccの余裕と品質で高評価を得たベストセラー

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ライバルに対して魅力をプラス

 1966年11月5日、トヨタはまったく新しいファミリーカーであるカローラを発売した。キャッチコピーは「プラス100ccの余裕」だった。
 当時市場には、日産サニー1000を筆頭に、ダイハツ・コンパーノ・ベルリーナ1000、スバル1000、マツダ・ファミリア1000、三菱コルト800、スズキ・フロンテ800など、800ccから1リッタークラスの乗用車が数多く存在していた。いわば、しんがりとして登場するカローラは、ライバルに比べて優位性がなければならなかった。1100ccの排気量は、ライバルに対する優位性のひとつとして決定されたものだった。わずかとはいえ、ライバルより大きな排気量のエンジンを搭載していることは、それだけでユーザーの注目を集めるには十分なものだったのである。

充実の内容でライバルを圧倒

 最大のライバルであった日産サニー1000が、質実剛健を旨に、いかに安価なクルマにするか?ということを目標に開発されていたのに対し、カローラは、1リッター・クラスのクルマを、いかに上級車に近づけるか?を目標に開発されていた。モデルバリエーションは、フル装備を施したデラックス(KE10D)、装備を簡素化した実用仕様のスペシャル(KE10B)、そしてスタンダード(KE10)の3グレードだった。一方のサニーは、サニー・デラックスとスタンダードの2車種で、どちらかといえばビジネスライクだった。メーカーは違うものの、同じジャンルの2車で、これだけ方向性の異なるコンセプトの下で設計された点は珍しかった。それは、トヨタと日産という2大自動車メーカーの性格の違いをそのまま表したものだったとも言える。

 1966年といえば、本来ベトナムのフランスからの独立のために始まった、ベトナム戦争は、前年に北爆を開始したアメリカ軍の介入で泥沼化の様相を見せ始めていた。日本は「いざなぎ景気」と名付けられた好景気に沸き、人口は1億人を突破、自動車業界の再編成の嵐は、日産とプリンス自動車の合併をもたらしていた。さまざまな面で勝者と敗者がかなり露骨な形で現れていた時代である。トヨタは純国産主義を貫き、再編成には加わらず、独立独歩の道を歩んでいた。

十分なパフォーマンスが設計の最大目標に

 カローラは、道路網の完備など高速化時代の到来に対しての設計を開発段階の目標のひとつに据えていた。①巡航速度100km/hが最高速度の75%以下であること。②サード(3速)の最高速度が100km/h以上であること。③SS1/4マイル加速が20秒以下であることが目標にした設計条件だった。目標は実際に達成された。発売当時の広告でも、「最高時速140キロ」「第3速で時速100キロまでひっぱれます」「SS1/4マイル(0発進400メートル)19.7秒」と、うたっている。また、広告には「1100ccのこの風格!この余裕!」といった余裕をアピールした表現のほかに、「このゼイタクな車がこの価格!」といった品質や価格を強調した文字も踊っていた。

パブリカでの反省をもとに上級化

 カローラが、シンプル&低価格を目標に掲げたサニーと異なる方向性を持ったことには理由があった。それは、1956年9月に、軽自動車よりもひと回り大きな小型車枠のファミリーカーとして登場したパブリカ(UP10系)の経験だ。パブリカは安価で完成度が高かったにもかかわらず、期待したほどの販売実績を上げられなかった。もちろん、日本の特殊なクルマ社会が、パブリカのような世界的にも通用する小型車を受け入れなかったということはあるのだが、日本の社会のなかで、自家用車が単に安価で合理的なだけでは商売にならないことを、トヨタはパブリカによって体験することになったのだ。

 車体は小さくとも、スタイルや装備、絶対的な性能に於いて、ひとクラスもふたクラスも上のモデルに匹敵するものがなければならないことである。少なくとも、カタログ上の数値は、わずかでもライバルたちよりもよい数値が並んでいなければならなかった。こうしたことを忠実に具体化したといえるカローラは、発表の半年も前から始められた徹底したティーザーキャンペーン(じらし宣伝作戦)などの効果やスタンダードで43万2000円、デラックスで49万5000円というリーズナブルなプライス設定にも助けられ、デビューするや爆発的な人気を獲得する。

 カローラは、ライバルたちより一段高級にみえたし、キャッチコピーのとおりに、カローラを所有することは、ユーザーの生活そのものに余裕を感じさせたのだった。カローラのイメージ戦略は見事に成功した。トヨタではカローラの生産を専門に行う高岡工場を新規に建設し、今日で言う「看板方式」による、部品納入業者(サプライヤー)との間にオン・ラインシステムを導入した。

サニーよりパワフルなスペック

 カローラ1100のエンジンは、それまでのトヨタ・エンジンとはまったく関係のない新設計で、水冷直列4気筒OHV8バルブのもの。排気量1077ccで、これはライバルの日産サニーのA10型エンジンよりも正確には89ccだけ大きかった。「プラス100cc」ではなかったことになる。最高出力は60ps/6000rpm、最大トルクは8.5kg-m/3800rpmで、これもサニーの各々56ps/6000rpm、7.7kg-m/3600rpmよりも若干上回っていた。実際の走行性能では大きな差ではなかっただろうが、先に述べたとおり、セールスマンが語り、カタログに記載された数値的な性能では、明らかにカローラに分があった。当時は、一般ユーザーでさえ、カタログに記された数字に大きな拘りを持っていたのである。自家用車は単なる移動のための手段としてだけではなく、父親と同じく、その家庭の中心的存在であり、その家庭の事情を対外的に物語る鏡のような役目をも果たしていた。

世界を代表するベストセラーカーに成長

 カローラ1100は、トヨタが控えめに設定した月販3万台の目標をあっさりとクリア、発売半年でライバルの日産サニーを追い落としてベストセラーカーとなった。いまや世界最多販売車種のタイトルを保持し続けているのはよく知られた通り。トヨタの徹底した市場調査とユーザーの好みを反映したクルマ造りの手法によって、カローラは「花の冠」というその名のように、見事に開花したのだった。