アルト02 【1979,1980,1981,1982,1983,1984】

47万円の低価格で時代をリードしたベーシックミニ

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徹底した合理化と斬新な発想で実現した47万円!

 1979年5月、「街へ。さわやかアルト。47万円で新登場!」というキャッチコピーで華々しく登場した軽自動車があった。スズキ・アルトである。軽ボンネットバン(軽ボンバン)と呼ばれるクルマの始まりであった。

 アルトは、乗用車のフロンテ550をベースに、内外装を徹底的に簡素化し、リアシートを折り畳み可能にして後部サイドウインドウの内側に荷崩れ避けの金属バーを取り付けたモデルだった。こうすることで、同じ軽自動車の規格内ではあったが、乗用車から商用車へと変身したのである。

 商用車とした最大のメリットは、新車購入時の自動車取得税や重量税などの税金が大幅に軽減されたことだった。商用車は車両価格に含まれる物品税もなかったから車両価格自体も安くできた。さらに車検の期間は小型車や普通車の1年毎ではなく乗用車と同等の2年。つまり維持のしやすさはそのままにイニシャル&ランニングコストを大幅に低くした新種の軽自動車の誕生を意味した。

 いわば、コロンヴスの卵みたいな発想だったが、「全国統一価格47万円」という価格設定は強いインパクトを持ち、一挙に大きな人気を集めることになった。同じボディを使った4ドアセダンのフロンテFX-Gが71万8千円だったのだから、アルトの価格は衝撃的だった。メーカーであるスズキの狙いは的中したのである。

FFへの大変身とともにアルトが誕生

 1979年、フロンテ550シリーズはフルモデルチェンジされ、それまでのリアエンジン、リアドライブから一転してフロントエンジン、フロントドライブへと宗旨替えをする。前輪駆動方式は初期のスズキ製軽自動車に採用されていたもので、いわば先祖返りと言えた。

 エンジンは水冷とした2サイクルと4サイクルの両方があった。この新型フロンテ550をベースとして誕生したのが商用車のアルトだった。面白いことに、スズキは軽乗用車の主力は4ドアセダンのフロンテとし、2ドアハッチバックのモデルは全て商用車登録のアルトに置き換えてしまった。

 ボディサイズはフロンテ550に等しいものであり、内外装を簡素化した結果、アルトの車両重量は545kgに抑えられていた。4サイクル3気筒エンジンを持つ4ドアセダンのフロンテFS-Gでは570kgだったのだから、2サイクルエンジンとはいえアルトがいかに軽かったかが分かる。排気量は539ccで最高出力は28ps/5500rpmを発揮。トランスミッションはマニュアル型の4速、フロアシフトのみの設定となっていた。ブレーキはフロントがツーリーディング、リアがリーディングトレーリング形式の4輪ドラムでサーボ機構は付かない。タイヤは5.00-10サイズのバイアスタイヤが標準装備されていた。

軽ボンバン市場を創造し軽自動車を復権したアルトの功績

 アルトには1979年10月からは、後部座席を取り去った完全な2シーターモデルもシリーズに加わった。後にエンジンは4サイクル化し、さらに装備を充実させた上級グレードや、2速オートマチック仕様を追加するなどユーザーニーズに応える商品力の向上を積極的に図った。

 全国統一価格47万円の効果は大きく、性能向上を優先させる余りに価格の上昇を招き、販売不振に陥っていた軽自動車の中でアルトはほとんど独り勝ちの状況になっていた。こうしたことで、他のライバルメーカーも挙って商用車規格の軽自動車=軽ボンバンを登場させることになる。ダイハツがミラ・クオーレを、スバルがレックスコンビを、そして三菱がミニカ・エコノを売り出すという具合であった。どちらかと言えば、軽自動車の一種の変種として登場した軽ボンバンだったが、価格の安さと必要十分な性能でその主流となったのである。軽自動車にユーザーが求める機能をアルトが探り当てたのだ。

アルトの好調が引き起こした税制変更

 アルトの「全国統一価格47万円」は、徹底的なコスト管理とともに、商用車には物品税が課税されないという税制面の利点を生かすことで実現していた。しかしアルトの好調な販売がその状況を変えた。1981年10月から商用車でも工場出荷値に対して5%が課税されることになったのだ。

 乗用車の15%と比較するとそれでもメリットはあったが、課税はストレートに車両価格に反映された。47万円から49万円への値上げを余儀なくされた。とはいえ2シーター仕様の場合は引き続き課税されなかったため、新たに2シーターのBタイプを設定し47万円を継続した。ちなみに課税前の1981年9月は駆け込み需要のため販売が沸騰。前月の2万7440台から4万3599台へと倍増した。