ルネッサ 【1997,1998,1999,2000,2001】

マルチパーパスカーの復興を目指した意欲作

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目指したのは広く、便利で、俊敏なクルマ!

 日本のメーカーがいわゆる「多用途車(マルチパーパスモデル)」を意識的に造るようになったのは、1980年代末から1990年代にかけての時代だった。この頃、日産がデビューさせた多用途車の一つがルネッサである。

 車名のルネッサ(R’nessa)とは、14世紀から16世紀にかけて、ヨーロッパに起こった「文芸復興」を意味するルネッサンス(Renaissance)からの派生語で、この種のクルマの改革を目指したことを意味していた。日産ではマルチアメニティービークル(MAV)と呼んでいた。また、ルネッサは日本とアメリカ市場向けに開発された電気自動車(EV)のベースになったことでも知られる。

 日本の、特に都市部では、一軒分の土地占有面積が絶対的に狭いなどといった住宅環境の特殊性から、自家用車としてクルマを所有できる台数は1台となる場合が多い。「一家に父親用のセダンと母親の買い出し用のステーションワゴン、そして子供たち用のスポーティーカーと最低でも3台のクルマが必要」と言われたのは、1950年代のアメリカだったが、日本ではそんなことはおよそ不可能だった。

 一方で、クルマに求められる使い勝手は多様性を増し、一台であらゆる要素を実現することが求められることになった。ある程度の人数が乗れて、荷物もステーションワゴン並みに積めて、さらに走りの性能はスポーツカーのように……というわけである。ルネッサは、多彩なニーズに応えるブランニューモデルとして開発されていた。

シャシーはプレーリー系のリファイン版

 ルネッサは、通常のステーションワゴンよりも全高を高くして居住空間を拡大し、ホイールベースを2800mmと長く採っていた。シャシーはプレーリー系のリファイン版。エンジンは直列4気筒DOHCのもので2WD用が排気量1998ccの自然吸気型(SR20DE型・140ps/5600rpm)。車重の嵩む4WDには、ターボチャージャー仕様(SR20DET型・200ps/6000rpm)と排気量2488ccの自然吸気型(K24DE型・150ps/4000rpm)を選んでいた。

 トランスミッションはフルレンジ電子制御の4速オートマチックのみの設定。シフトレバーはコラムシフトとなっていた。この辺りはスペース効率を重視したクルマらしいところだ。ちなみにデビュー翌年の1998年になると4速オートマチックに加えてCVT仕様が加わる。

徹底的にこだわった先進の安全性

 ルネッサは、大切な家族を乗せるファミリーカーだけに安全には徹底的にこだわっていた。メーカーでは危険を予知するための「インフォメーションセーフティ」、危険を回避するための「コントロールセーフティ」、そして万が一の場合の被害を最小にする「インパクトセーフティ」のトリプルセーフティの両立により総合的な安全性を高いレベルに仕上げ田と説明していた。

 代表的な装備を列記するとインフォメーションセーフティでは広角ドアミラー、撥水ガラス、キセノンヘッドランプなど、コントロールセーフティではABS、ブレーキアシスト、インペクトセーフティは全方位衝突安全存ボディ、デュアルエアバッグなどである。ルネッサは使い勝手だけでなく安全性にも新たな基準を提示する意欲作と言えた。

立体駐車場に収まらなかったのが敗因!?

 ルネッサは、ボディサイズに比較してリーズナブルな価格設定や回転対座シートも装備するなど、魅力的なモデルではあったものの、当時の日本ではサイズ的に中途半端であったこと、居住空間の広さは褒められるものの、全高が1675mmと高かったことなどが災いして、販売は思ったように伸びなかった。

 増えつつあった一般的な立体駐車場には、1675mmの全高では入れなかったのである。すでにファミリーカーの主流になっていた3列シートのミニバンと異なり、2列シート構成だったのもアピール力を欠いた要因だった。

 ルネッサは、そのデザインや設計の志は極めて高かったものの、生まれる時期がいささか早過ぎたようであった。おそらく、マルチユースとエコがキーワードとなる数年後に発売されれば、それなりの成功を収められたはずである。無論、全高はもう少し低くして、使い勝手に優れた3列シートを装備するなどの手直しは必要だったろうが。開発コンセプトが個性的な点で、記憶に残るクルマだった。