名勝負 73富士1000kmレース 【1973】

豪雨の疾走。セリカLBターボ完全勝利

会員登録(無料)でより詳しい情報を
ご覧いただけます →コチラ


最高出力300psのターボでレースに挑戦

 1973年7月に開催された「富士1000kmレース」でのセリカLBの圧倒的な勝利は多くのファンを魅了した。それはターボマシンによる日本初の栄光でもあった。

 トヨタはターボの持つ可能性に早くから注目していた。1971年にはコロナ・マークII・GSSをベースにしたターボマシンを開発。5月から8月にかけて3レースに出場させる。
 マークIIはトラブル続きで、結局レース参戦の継続は中止された。その後はベース車をセリカに変更。熟成を重ねる。1973年の富士1000kmレースに参戦したセリカ・ターボはLBとクーペの2台。LBは高橋晴邦/見崎選手組。クーペは久木留/蟹江選手組がステアリングを握った。

予選は10/11位のポジションを獲得

 セリカ・ターボは前年マシンと比較して大幅にポテンシャルアップしていた。パワーユニットは1600GT用の2T-G型がベース。これにヤマハ発動機が開発したターボを組み込み300ps/8500rpm、27.0kg・m/6400rpmを発生した。パワーは前年マシン比で30psアップ。1973年モデルは排気圧コントロールを緻密に変更し、加給圧を2.0kg/cm2前後に設定。ダブルイグニッション、電子制御燃料噴射装置、CDIで総合的なチューニングが施されていた。
 ボディは、空力特性のリファインのためモデファイが加えられ、前後フェンダーはFRP製。LBはリアウイングとフロントスポイラーを装着する。

 富士1000kmレースは、オープンボディの純レーシングマシンから小排気量ツーリングカーまで60台ものマシンが出場するビッグイベント。予選は2回に分けて行われた。ベストタイムをマークしたのはローラT280・DFVを操る高原/浅岡選手組(1分46秒31)、以下9番手まで純レーシングマシンが続き、セリカ・ターボは久木留/蟹江選手組のクーペが10位(1分55秒41)、LBの高橋/見崎選手組は11位(1分56秒00)。セリカ・ターボの予選順位は直接のライバルとなる日産フェアレディ240Z・R(予選12/17位)を凌ぐものだった。
 通常ならレースも純レーシングカーが主導権を握るはずだった。しかし1973年は事情が違った。台風の接近により豪雨に見舞われたのである。

4周目からトップに立ち、快走!

 早朝から降り始めた雨は、スタート時の10時30分には一旦小降りになり、コース状況は改善される。スタート直後はやはり純レーシングマシンが速かった。高原/浅岡選手組がレースを主導。しかしスタートと同時に雨足が強まり状況は一変した。4週目にトップでグランドスタンド前に戻ってきたのは高橋/見崎選手組のセリカLBターボだった。高原/浅岡選手組のローラは2位に後退。3位には久木留/蟹江選手組のセリカ・クーペ・ターボが続く。

 トップに上昇したセリカLBターボの速さは圧倒的だった。雨足が弱まると2分7秒台、本降りのなかでも2分15秒台で順調にラップを重ねる。40周が経過した時点で、純レーシングカーは軒並み後退。1位はもちろんセリカLBターボ、2位はフェアレディ240Z・R、3位はマツダ・サバンナRX-3、セリカ・クーペ・ターボは4位。
 その後、フェアレディ240Z・Rはクラッシュしてリタイア。80周目にはトップのセリカLBターボは2位以下を周回遅れにする大幅なアドバンテージを築く。結局、悪天候のためレースは6時間を経過した時点で終了。午後4時30分にフィニッシュを迎える。優勝はもちろん4週目以降、トップの座を堅持し続けた高橋/見崎選手組のセリカLBターボ。久木留/蟹江選手組のセリカ・クーペ・ターボは4位に食い込んだ。

 2台のセリカ・ターボの勝利は見事だった。一切のトラブルなしに6時間をレーシングスピードで走り切り、ターボの優秀性を実証したのである。トヨタはその後もターボの開発を精力的に続け、1982年9月にセリカGT-T(3T-GTEU型1.8リッターDOHCターボ搭載)を発売する。GT-Tの完成度が当初から高かったのは、レース経験が生かされていたからに違いない。セリカLBターボはトヨタの高い技術力とセリカの類い希なポテンシャルを見せつけた名車だった。
※文中敬称略