ホンダ
1950年代
1960年代

ホンダの歴史1 第一期/1946-1964

チャレンジ精神”と“夢を紡ぐ力”がすべての原点
現在の企業スローガンが、ホンダの本質を表している。 クルマや飛行機など、人間の行動半径を広げ、 生活を豊かにする機械に対して、 限りないロマンを抱き続けた 本田宗一郎の情熱の原点が、“夢の力”であり、 それはそのまま、ホンダを形成した。 栄光の第一歩をご紹介しよう。
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1980年代
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インテグラ

上級感も携えた初のVTECモデル
シビックとアコードとの間を埋める モデルとして登場したクイントから9年。 インテグラの名を冠する車種としては 2世代目となったモデルは、 上級な仕様へと進化して登場。 スペシャルティな個性が輝いた 魅力的な1台としてユーザーに支持された。
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1980年代
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プレリュード

ホンダの最新技術を結集した3代目
中嶋悟選手がロータス・ホンダを駆って フォーミュラ1に進出した1987年、 ホンダ技研はFFスペシャルティカーの プレリュードをフルモデルチェンジする。 3代目に移行した新型モデルは、 当時の最新技術を目一杯盛り込んでいた。
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シビック

卓越の走り。 “グランド・シビック”の進化
同クラスのベンチマークとして君臨した 1983年デビューのワンダー・シビック。 その後継モデルを開発するにあたり、 本田技研は新技術の積極的な投入を決断する。 内外装もいっそうの上質化を目指した。 4代目に当たる新型は1987年に発表される――。
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アコード・エアロデッキ

斬新造形の上級ハッチバックモデル
本田技研の中心車種であるアコードは、 1985年6月に3代目に移行する。 ボディタイプは従来型と同様に セダンとハッチバックを用意したが、 ハッチバック仕様には 「エアロデッキ」というサブネームが 新たにつけられていた。
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クイント・インテグラ

インテグラの名を加えた2代目クイント
1980年代は本田技研工業から スポーツスピリットあふれるモデルが 数多くリリースされた時代だった。 四輪進出時の原点回帰、F1イメージの踏襲── 自動車マスコミは様々な賛辞をおくる。 そんな最中、クイントが2代目に移行した。
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アコード ハッチバック

初代のコンセプトを巧みに継承した2代目
1976年にHBボディを纏い登場したアコード。 先進の技術と装備を備えてのデビューとなり、 後に4ドアを加え、世界90カ国で販売される ワールドカーに成長する。 2代目では、HBとセダンが同時に発売。 新時代の国際車として、さらなる進化を遂げる。 HBモデルは、分割リアシートを採用し、 小型車の新機軸となる。
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バラードスポーツCR-X

FFライトウエイトスポーツの登場
1980年代初頭は本田技研にとって、 スポーツ指向が回帰する時期となった。 なかでもFFライトウエイトスポーツという 新ジャンルの市販車のデビューは、 クルマ好きに大きなインパクトを与えた。
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シビック

“スーパー・シビック”の登場
CVCCの開発でいち早く排出ガス規制を 克服した本田技研は、 1979年に基幹車種のシビックの フルモデルチェンジを実施する。 1980年代に向けた新しい小型車は、 初代のコンセプトを踏襲しながら、 大幅なリファインを図っていた。
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アコード・サルーン

ワールドカーに成長。快適さを徹底追求
クルマが多用途化していく時代にあって、 アコード・サルーンの開発陣は、 まず快適性を重視した。 アコード3ドアの魅力をそのままに、 パッセンジャーのすべてが 疲れを感じることのないトータルな快適性を追求。 充実の装備や高い質感も備えた。 世界市場を目指す上級サルーンが誕生した。