セリカ 【1989,1990,1991,1992,1993】

新技術を駆使した5代目スペシャルティ

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「流面形」の次にくるものは--

 流面形というキャッチフレーズを掲げ、1985年8月にデビューしたST160型系4代目セリカは、そのスタイルと卓越したパフォーマンスで大人気を集める。ファンの注目度の高さという点では、初代セリカ以来のヒット作に成長していた。
 ヒット作のフルモデルチェンジは、あまり基本コンセプトを変えない--。マーケティングを最重要視するトヨタ自動車にとって、それは規定路線だった。ただし、セリカは斬新なスペシャルティ感覚を前面に打ち出したモデル。次期型はより洗練されたスタイリングを持ち、しかも先進のメカニズムを組み込むことが必須条件とされた。さらに、セリカはWRC(世界ラリー選手権)のベースマシンとしての使命も帯びていたため、高性能エンジンの搭載を前提にしたレベルの高いシャシー性能と耐久性を確保することも課題となった。

 スタイリングに関しては、「未来感覚」をテーマに抑揚のあるエクステリアを構築する。四輪ストラット式のシャシーは基本的に従来型を踏襲するが、各部のジオメトリーや取り付け剛性を大幅に見直した。外観と同様、インテリアについても曲面パネルを多用し、適度な囲まれ感と上質感を演出した。
 搭載エンジンは3S-GTE型の2Lツインカムターボ(225ps)を筆頭に、3S-GE型(165ps)と3S-FE型(125ps)の2種のツインカムユニットを設定する。さらに、トヨタとしては初の4WSも開発。加えて電子制御式のハイドロニューマチックサスペンションも作り上げた。

先進技術を満載して市場デビュー

 1989年9月、5代目となるST180型系セリカが市場デビューを果たす。キャッチフレーズは「WANTED New CELICA」。イメージキャラクターに映画『ビバリーヒルズ・コップ』のアクセル刑事役で一世を風靡していた俳優エディ・マーフィーを起用し、その役柄を生かしたキャッチを新型セリカに冠したのである。
 ST180型系セリカの車種展開は、3ドアクーペのボディに3S-GE型/3S-FE型/GT-FOUR専用3S-GTE型の3エンジンを設定する。電子制御式ハイドロニューマチックサスペンションに4WSやABSなどの先進メカニズムを満載した“アクティブスポーツ”は、受注生産の形で用意された。
 1990年8月になると、クーペボディに加えてオープン仕様の“コンバーチブル”がラインアップに加わる。さらに本革シートを標準装備した豪華版のタイプG、GT-FOURをベースに前後ブリスターフェンダーを組み込んでワイドボディ化した“GT-FOUR A”(Aはアドバンスの意味)なども発売された。

WRC参戦のベースモデルが登場

 意欲的な車種追加を実施したST180型系セリカ。その真打ちといえるモデルが、1991年8月のマイナーチェンジからひと月遅れでデビューする。世界ラリー選手権参戦のためのホモロゲーションモデルとなる“GT-FOUR RC”(RCはラリー・コンペティションの意味)が発売されたのだ。
 ST185H型の型式を持つセリカGT-FOUR RCは、エンジンに耐久性の高い水冷インタークーラーとメタルタービンを装備し、サスペンションやブレーキなども強化タイプに変更する。専用デザインの外装パーツなども注目を集めた。
 セリカGT-FOUR RCはグループA規定の5000台を生産し、日本では1800台あまりが販売される。残りは当時のトヨタのWRCエースドライバーにちなんで、“カルロス・サインツ・リミテッドエディション”のネーミングで輸出され、大人気を博した。

  GT-FOURは、WRCの実戦でも大活躍する。ワークスマシンは、1992年シーズンからWRCの実戦舞台に投入される。この年、エースドライバーのカルロス・サインツ選手が年間5勝を挙げ、ドライバーズタイトルを獲得した。翌1993年シーズンはユハ・カンクネン選手をエースドライバーに迎え、進化版のセリカGT-FOURを走らせる。宿敵のランチア・デルタ・インテグラーレなどを相手に、チームが獲得した勝利は全13戦中7勝。圧倒的な成績でメイクスタイトルを制覇した。またカンクネン選手もドライバーズタイトルを獲得。トヨタは日本メーカー初のダブルタイトル制覇という偉業を成し遂げたのである。