メガクルーザー 【1996.1997,1998,1999,2000,2001】

自衛隊向けを民生モデルに仕立てた超本格4WD

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新しい高機動車の誕生の経緯

 1950年8月に警察予備隊令が公布・施行され、活動を始めた自衛隊の前身である警察予備隊。その人員移動および物資輸送に際し、同隊はジープタイプの4WDモデルの開発を各自動車メーカーに要請する。具体的な回答策を打ち出したのは、トヨタ自動車工業と日産自動車、そして中日本重工業(後に新三菱重工業に改称)だった。このうちトヨタ自工は、既存のトラックのSB型フレームをベースに改良を施し、そこにジープタイプのボディを架装する。完成したトヨタ版ジープはBJの型式を付け、車名には「トヨタ・ジープBJ」と冠した。BJは隊の車両としては正式に採用されなかったものの、車名を「ランドクルーザー」と改称して市販を開始。被災地の救援車として、また消防車や診療車として大活躍した。

 BJの登場から40数年が経過した1990年代前半、自衛隊の救援活動は規模と内容ともに大幅に拡大する。しかし、この活動に対する運搬車両は依然としてジープタイプのモデルが主流を占めていた。悪路を迅速に、しかも大容量の物資を積んで走れる新しいタイプの4WDモデルがほしい−−そんな要望が自衛隊のなかからわき起こる。この状況に対して、トヨタ自動車は新たな4WDモデルを企画。プレスフレームに前後ダブルウィッシュボーンサスペンション、エンジンのフロントミッドシップレイアウトとフルタイム4WD機構、油圧作動の4WS(4輪操舵機構)、インボード式4輪ベンチレーテッドディスクブレーキなどを採用した意欲的な高機動車を完成させ、平成5年度(1993年度)より自衛隊に納入した。

民生仕様の「メガクルーザー」のデビュー

 トヨタが開発した新しい高機動車は、米国のハンビー(ハマー)の場合と同様、シビリアンモデル(民生仕様)が企画される。まず、1993年10月開催の第30回東京モーターショーにおいて「メガクルーザー」の車名で参考出品。好評を得たことから市販化が決定し、1996年1月になってBXD20V型メガクルーザーが市場デビューを果たした。

 英語の“mega(大きい)”と“cruiser(巡洋艦)”を合成し、「抜群の不整地走破性能を生かし、これまでのクルマでは行くことのできなかった様々な場所で大きな力を発揮し、災害救助や学術調査隊用などとして、社会に貢献する大きな可能性を持つ1台」という意味を込めたメガクルーザーは、全長5090×全幅2170×全高2075mm、ホイールベース3395mm、車重2850kgという立派な体躯に、15B-FT型4104cc直4OHC16Vディーゼルターボエンジン(155ps/39.0kg・m)+電子制御式4速ATの動力源を搭載する。

 駆動機構にはセンターデフロック付きフルタイム4WD(前後電動デフロックおよびトルセンLSD装備)を採用。さらに、リアに逆位相4WSを組み込んで最小回転半径を5.6mに設定した。また、ハブリダクション機構付きのアクスルに37×12.50R17.5-8PRLTの特殊タイヤを採用することで、最低地上高420mmとアプローチアングル49度/デパーチャーアングル45度という高性能を実現する。生産に関しては、トヨタ車体グループのひとつである岐阜車体工業が担当した。

一部改良でパワフル&クリーン化を図った“和製ハマー”

 そのスタイリングやクルマの構成要素から“和製ハマー”とも呼ばれたメガクルーザーは、発売当初こそ一般ユーザーからの引き合いがあったものの、時を経るに連れて本来のターゲットである救助・救援や消防などを担う諸団体に納入されるようになる。また、1999年5月にはエンジンの改良を核としたマイナーチェンジを実施。電子制御式高圧噴射ポンプの採用や燃焼室の改良、ターボチャージャーの高応答・高過給化、VCOハイフローノズルおよび吸気冷却式EGRバルブの装着などを行った15B-FTE型4104cc直4OHC16Vディーゼルターボエンジンは、パワー&トルクが170ps/43.0kg・mにアップすると同時に、NOxの低減や低振動・低騒音化を達成した。

 新しいジャンルの4WD車であるメガクルーザーは、最終的に2001年8月に生産を終了する。一方、自衛隊向けの高機動モデルは、その後も鋭意造り続けられた。