サニー 【1973,1974,1975,1976,1977】
曲線基調のスタイリングに一新した3代目
初代のB10型系、2代目のB110型系と、クリーンでシンプルなスタイリングを採用して好評を博したダットサン・サニー。しかし、見栄えのいいルックスとスペック、さらに充実した装備を持つライバル車のトヨタ・カローラに対して、販売台数はつねに遅れをとっていた。サニーに足りないものは何か--開発陣は模索し続け、最終的にひとつの結論に達する。「ブルーバード・クラスの小型乗用車の風格を持つ大衆乗用車に仕上げれば、サニーのイメージアップが図れ、しかもユーザー需要の多様化と上級志向に対処できる」。この基本方針のもと、日産のスタッフは次期型サニーの開発を急ピッチで進めた。
実際の開発に当たっては、1)若々しく、ダイナミックなスタイル 2)豪華で快適な室内 3)積極的な公害・安全対策の実施 4)騒音・振動対策の充実 5)信頼性の確保 6)市場の多様化に応えうる豊富な車種設定、という具体的な設計目標を掲げる。1に関してはロングノーズ・ショートデッキの斬新で個性のあるスタイルを構築。とくにクーペモデルは、流行の兆しを見せつつあったアウトドアレジャ-での使用パターンを鑑み、リアゲートにハッチバックタイプを導入した。2については、ドライバーを温かく包みこむように設計したインスツルメントパネル、体にフィットするシート、アイソクランプ方式の後席、強制ベンチレーション付きヒーター、厳選した内装表地などによって豪華で快適な居住空間を演出する。
3については、燃料蒸発防止装置を始めとした昭和48年排気ガス規制をクリアする諸装置を採用。さらに前輪ディスクブレーキやタンデムマスターシリンダー、コラプシブル・ステアリング、前席シートベルト、ヘッドレストなどを装備して安全性を向上させた。4に関しては、インシュレーターの最適配置や各部品の取り付け剛性のアップ、サスペンションのチューニングの見直しなどで効果的な騒音・振動の低減を実施。5については、開発段階から徹底して品質保証活動を行う。そして6に関しては、サニーとサニー・エクセレント合わせて計21系列、43車種というワイドバリエーションを設定した。
2代目のB110型系が登場してからまだ3年4カ月ほどしか経過していない1973年5月、3代目となるB210型系サニー・シリーズが市場デビューを果たす。ボディバリエーションは2ドアセダン/4ドアセダン/2ドアクーペ/2ドアバン/4ドアバンの5タイプを用意。エンジンはA12型1171cc直4OHV(1200シリーズ)とL14型1428cc直4OHC(1400シリーズ)のそれぞれに、シングルキャブレター仕様とSUツインキャブレター仕様を設定した。
市場に放たれたB210型系サニーを見て、ユーザーはその変貌ぶりに驚いた。曲線基調のスタイリングに華美なアレンジのパーツ群は、シンプルでクリーンなルックスが特徴だったサニーのイメージを大きく逸脱していたのである。とくに保守的なセダン・ユーザーからは、“装飾過多”と受け取られた。ハッチバックの採用で利便性が向上し、スタイリングも若々しくなったクーペボディは高い人気を獲得したものの、結果的にボリュームゾーンであるセダンの販売台数はメーカーの予想に反して伸び悩んだ。
「セダンモデルはもう少しシンプルに仕立てほうがいい」という意見が販売側から上がったものの、当時の開発スタッフには大幅な改良を施す余裕と予算はなかった。段階的に厳しくなる排気ガス規制への対応、さらに交通死亡事故の増加に対処した安全性の強化などが、B210型系サニーのスタイリング改良の余地を奪ってしまったのである。
それでも開発陣は、サニーのリファインを地道に続けていく。1975年12月にはA12型エンジンが昭和51年排出ガス規制に適合。同時に車名をダットサン・サニーからニッサン・サニーへと一新する。1976年2月になると1200シリーズがマイナーチェンジを実施し、グリルやランプ類のデザインを変更。さらにエコノメーターをオプションで設定した。また同月、A14型エンジンを搭載した1400シリーズとL16型エンジンを積むエクセレント1600シリーズ(エクセレントはこの時にダットサン→ニッサンのブランド名に変更)が追加される。そして1976年7月にはA14型にツインキャブレターを組み込んだ“1400GX-T”が、翌77年2月には4ドアセダンのデラックスや“1400L”などが発売された 。
豪華さや若々しさを強調したB210型系サニーは、結局、最大のライバルであるカローラに販売台数で肉薄できないまま、1977年11月に新型へ移行される。4代目となるB310型系はデザイン面で原点回帰し、直線基調のクリーンなスタイリングが採用されたのであった。