レックス 【1972,1973,1974,1975,1976,1977,1978,1979,1980,1981】

鮮烈ウェッジ・シェイプを纏う前衛ミニ

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レックスは軽自動車の老舗であるスバルが
満を持してリリースした意欲作である。
風を切り裂く大胆なボディデザイン、
クラストップのパフォーマンス、
そして豪華な装備と快適性……
レックスはひとクラス上の実力を持つ
スバルの技術力の結晶だった。
名車スバル360&R2の後継モデル

 レックスは、1972年7月にデビューしたスバルの新型軽自動車である。リア・エンジン、リア・ドライブ(RR)と言う基本構成は360やR2と変らなかったが、2サイクルの並列2気筒で排気量356ccのエンジンは、同じエンジンを搭載するR2Lと共に、排気ガス浄化規制をクリアするため水冷化された。エンジン出力は標準型の32馬力、スポーティ仕様の35馬力、高出力型の37馬力の3種があった。

ボディ・サイズは軽自動車枠を一杯に使った、全長2995mm、全幅1295mm、全高1285mm、ホイールベース1920mmとなっていた。スタイルは2ドアクーペ風だったが、シートは4名分がセットされている。翌1973年3月には4ドア仕様も加えられた。

デザインは上級車レオーネのイメージ

 1972年当時は、軽自動車とは言っても、排気ガス浄化規制や安全性の確保など、それまでに経験することの無かった様々な条件を乗り越えねばならず、各メーカーとも技術力を総動員していた時期でもあった。スバルは、1958年に発売されたスバル360以来の軽自動車のパイオニアとして、この新型レックスにも新しい時代の軽自動車として十分な性能とスタイリングを意欲的に盛り込んでいた。

たとえば、スタイリングのイメージは、1971年にスバル初のパーソナルカーとして登場し、好評を博したレオーネ・クーペの忠実な縮小版と言えるもので、軽自動車のサイズの中に、先進的なウェッジ・シェイプ(クサビ形)を見事に再現していた。水冷エンジンのラジエターはボディ最前部に置かれ、高い冷却効果と共にエンジンの搭載位置を感じさせないスタイリングとなっていた。

すでに軽自動車でも、より広い室内空間を確保する手段として、フロント・エンジン、フロント・ドライブ(FF)が主流となりつつあった当時、スバル360以来の伝統的なレイアウトとして、リア・エンジン、リア・ドライブにこだわり続けるスバル故の苦肉の策であったようだ。

数々の改良で性能&商品力を向上

 1972年のデビュー当時は、並行生産されていたスバルR2と同じ水冷2サイクル並列2気筒だったエンジンは、1973年2月にR2の生産が中止されたのに伴って4サイクルに変更、同年10月から発売した。最高出力は31馬力へと僅かにダウンしたが、高速走行と排気ガス浄化の性能は格段に向上していた。

さらに、1977年5月からはエンジンの排気量を新しい軽自動車の規格である544ccへと拡大、レックス550として発売。最高出力は360cc時代と変らなかったが、トルクが向上して運転の容易なクルマとなった。モデルバリェーションは多彩をきわめ、ファミリーユースからパーソナルカー、高性能スポーティーモデル、あるいは、商用車シリーズに至るまで、カタログ上だけでも7車種を数えた。これでも、ライバルたちに比べれば少ないバリエーション展開だった。

 レックス・シリーズは、1978年に550スイングバックと呼ばれるコマーシャル仕様、1979年9月には装備を簡素化したファミリーレックス、1980年3月にはイージードライブを可能にしたオートクラッチ仕様を加え、ワイドバリエーション化を加速して行く。その後1981年9月にFFレイアウトのレックス・コンビにフルモデルチェンジ。レックスというネーミングの軽自動車は、エンジン排気量の拡大(660ccへ、1990年2月)などの改良を繰り返しながら1992年3月に新しいヴィヴィオ・シリーズが登場するまで生産された。

COLUMN
パフォーマンスの挑戦。ゼロヨン20秒の壁!
1967年のホンダN360が火を付けた軽自動車のパフォーマンス競争は、1970年代に入るとさらに激化した。とくに注目されたのは加速性能である。速度制限が厳しい日本では、信号からの発進加速がクルマの速さを実感する尺度として重要だったからである。その速さは発進から400mまでの距離を走り抜ける数字、いわゆるゼロヨン加速として表示された。 レックスのトップモデルGSRのゼロヨン加速は19.9秒。この数字は誇らし気にカタログに刻印されている。19秒台の数値は、上級のリッターカーと同等かむしろ上。当時20秒を切ると速いクルマとして認知されたから、各メーカーとも20秒の壁を切ることに懸命となった。