ルーチェ・ロータリークーペ 【1969,1970,1971,1972】

1969,1970,1971,1972

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生粋のロータリー・スペシャルティの誕生

 1969年10月に発売されたルーチェ・ロータリークーペは、コスモ・スポーツ、ファミリア・ロータリーに続くロータリーエンジン搭載第3弾として誕生した。当時のマツダのフラッグシップモデルとして開発された生粋のロータリー・スペシャルティである。

 ルーチェ・ロータリークーペは、車名に“ルーチェ”を名乗るだけに、すでに1966年に市場デビューしていたセダン仕様のルーチェ(1.5L&1.8Lレシプロエンジン搭載)の派生車種と考えがちだが、そうではない。ロータリーエンジンというパワーユニットだけでなく、マツダ初のFFレイアウトをはじめ、足回りからスタイリングの細部に至るまで、すべてが専用設計のブランニューモデルだった。

 ルーチェ・ロータリークーペは、1967年の東京モーターショーに「RX87」のネーミングで公開されたプロトタイプの市販版である。RX87は翌1968年のモーターショーでは各部をリファインの上「ルーチェ・ロータリークーペ」に進化。さらにその1年後に正式市販された。

新開発13A型ロータリー搭載。最高速190km/h!

 ルーチェのネーミングを名乗ったのは、スタイリングがセダンのルーチェと血縁関係にあったからだ。ルーチェ・ロータリークーペのスタイリングを手掛けたのは、イタリアのカロッツェリアであるベルトーネ。世界のカーデザインのトレンドセッターとなっていたベルトーネの作品だけに、バランスに優れた美しいプロポーションを持っていた。丸形4灯ヘッドランプを配したフロントマスクや、プレーンなリアエンド、シンプルな面構成はセダンのルーチェと共通イメージ。その上で3角窓を廃止した美しいハードトップルーフがロータリークーペならではのスペシャルティな雰囲気を醸し出していた。

 ボディサイズは全長4585×全幅1635×全高1385mm。セダン(4370×1630×1430mm)と比較して、215mm長く、5mmワイドで、45mm低いディメンションである。ちなみにホイールベースは2580mmとセダンより80mmも長い。
 注目のパワーユニットは655cc×2ローターの新開発13A型。126ps/6000rpm。17.5kg・m/3500rpmのパワー&トルクを誇り、4速トランスミッションとの組み合わせで190km/hのトップスピードと、0→400m加速16.9秒の俊足を誇った。13A型はコスモ・スポーツやファミリア用の10A型(491cc×2)と比較して排気量がひと回り大きいだけに、高回転域のパワーの伸びが一段と刺激的で、しかも低・中速域でも十分なトルクを発揮した。ライバルとなるクラウンやセドリック、スカイラインなどの6気筒エンジンを凌駕するポテンシャルの持ち主だった。

駆動方式に先進のFFを採用

 なぜルーチェ・ロータリークーペは駆動方式にFFを採用したのだろうか。現在でこそFF車は一般的だが、1960年代後半は、コンパクトカーを含めて少数派だった。スペース効率と、高速域の走行安定性に優れていたが、当時のFF車は操縦性に癖があり、しかも耐久性の点でも種々の問題を抱えていた。多くの技術的な課題を残していたのである。ルーチェ・ロータリークーペがFF方式を採用したのは大英断といえた。マツダの開発陣は、ロータリーエンジンに加え、完成度の高いFF方式を実現することで、マツダの高い技術イメージを確立しようとしたのだろう。

 FF化にあたっては、ロータリーエンジンの軽量・コンパクトさが大きな武器になった。FF方式はフロントにエンジンだけでなく駆動系のメカニズムも収める必要があるが、ルーチェ・ロータリークーペは実にすっきりと収まっていた。メカニズムの影響で前輪の切れ角が制限され、小回りが利かなくなるFF車が多いなかでルーチェ・ロータリークーペは例外。5.3mとボディサイズを考えると優秀な最小回転半径を実現していた。

総生産台数976台。時代に先駆けた未完の大器

 ルーチェ・ロータリークーペは、やはりFFのデメリットを完全には克服できていなかった。当時の試乗レポートを見ると、圧倒的な動力性能は高く評価されていたが、操縦性の面では欠点が指摘されている。とくにパワーステアリングを標準装備する上級版のスーパーデラックスは、ステアリングから伝わる路面フィールが希薄で、不安を感じるとするレポートが数多く見られた。急発進にトライするとFF方式特有のトルクステア現象が現れ、まっすぐ走らせるにもコツを必要としたらしい。ルーチェ・ロータリークーペの走りは、相当にじゃじゃ馬だったのだ。

 ルーチェ・ロータリークーペは一部に熱狂的なファンを生んだが、1972年9月に生産台数976台でひっそりと表舞台から去った。すべてに意欲的なチャレンジをしたルーチェ・ロータリークーペだったが、残念ながら時代に先駆けるあまり技術的な未成熟が目立った。まさに“未完の大器”だったのだ。