ロードペーサーAP 【1975,1976,1977,1978,1979】

ビッグボディの混血ロータリーサルーン

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ロードペーサーAPは、異色の高級車。
ホールデン・プレミアーのボディに、
13B型ロータリーエンジンを搭載。
ボディを他メーカーから調達するという
国産車では非常に珍しい成り立ちを持つ。
後席の居住性をアップさせた、ショーファードリブンは、
ロータリー車のラインアップ拡大を狙った戦略の一貫だった。
欧米メーカーとの協力体制

 自動車メーカーが、最も手っ取り速く新しいモデルを作る手法としては、他社の既存のモデルを自社ブランドで販売することだ。1970年代初頭の第一次オイルショックの後、エンジンの省エネルギー対策と排気ガス対策などに追われ、新しいモデルの開発まで手が回らない中小の自動車メーカーでは、こうした手法によって、新型車が作られることが珍しくなかった。

1975年にデビューした「マツダ ロードペーサーAP」は、当時決して大きなメーカーではなかった東洋工業(現・マツダ株式会社)が、止むに止まれずに採った他社モデルの自社ブランド販売と言うニューモデル開発の手法だった。

インターミディエートのボディ調達

「マツダ ロードペーサーAP」は、オーストラリアのGM系メーカーだったホールデン社から、同社のインターミディエートクラスの4ドアセダン、「ホールデン プレミアー」のボディを購入、マツダ製ロータリーエンジンを搭載したモデルである。インターミディエートとは言っても全長4850mm、全幅1885mm、全高1465mm、ホイールベース2830mmもあったから、日本では「トヨタ センチュリー」や「日産プレジデント」などに匹敵するボディサイズであり、マツダは念願のプレミアムクラスのモデルを比較的簡単にラインアップすることができたことになる。

言葉は悪いが、まさに「他人の褌で相撲を取った」わけだ。「ロードペーサー」とは、路上のペースカーを意味しており、先進のプレステージカーであることを含ませたネーミングであった。

環境性能も磨いた13Bを搭載

 搭載されたエンジンは、ルーチェ・ハードトップなどに使われたものと同じ13B型の2ローター・ロータリーエンジンで、排気量654cc×2で出力は135ps/6000rpm、トルクは19.0kg-m/4000rpmを発揮、1575kgと軽くはないボディを最高速度165km/hで走らせた。実用上は問題のない性能である。トランスミッションは、モデルの性格上コラムシフトの3速オートマチックのみの設定となっていた。外観上は、日本車らしからぬアメリカナイズされたスタイルですぐにそれと分かるほど個性的なもの。ホワイトボディの状態で輸入されて、室内の儀装やボディの塗装仕上げなどはマツダ自身が行った。バリエーションは2種あるが、ボディスタイルや室内装備などは基本的に共通であった。価格は前席をベンチタイプとしたモデルが368万円、セパレートタイプとしたモデルが371万円とされていた。

しかし、同じ時期の「日産プレジデント・タイプD」が282万円、「トヨタ センチュリーBタイプ」が245万円となっていたから、ロータリーエンジン特有のパワフルで静粛な走行性能、たっぷりとした室内空間など、プレミアムカーとしての条件を満たし、装備や性能が互角であっても、価格的な割高感は否めず、さらに高級車市場は先の2車でほとんど寡占状況に在ったことなどもあり、大きな人気を獲得するには至らなかった。この「マツダ ロードペーサー」以後、マツダはしばらく大型車に手を染めることはなかった。

COLUMN
効率化を実現した国際分業
GMの子会社であるオーストラリアのホールデン社と結んだ自動車部品購入契約によって、ボディや主要パーツをコンプリートノックダウン方式で購入。通常、最少量生産車であっても、かなりの設備投資が必要とされるのが新型車の生産だが、開発期間に関しても通常の半分に短縮しての発売だった。余談になるが、かつて、トヨタからクラウンのボディを購入し、ロータリーエンジンを搭載する計画もあった。しかし、それは実現しないままに終わり、GM側との橋渡しをいすゞが行い、国際分業という形で実を結んだのだ。