セドリックHT 【1971,1972,1973,1974,1975】
華やかでスタイリッシュなハードトップの登場
個人で自動車を所有する、いわゆるマイカー・ブームがすっかり定着した1970年代初頭の日本の自動車市場。ユーザーのクルマに対する要求は多様化と上級化の様相を呈し始め、それまではフォーマルさに比重が置かれていた中型乗用車に対しても、スポーティさやパーソナル性といった要素が求められるようになっていた。
フラッグシップモデルであるセドリックの次期型を模索していた日産自動車は、市場調査によって前述の事実を把握し、3代目となる次期型の車両コンセプトに採用する方針を打ち出す。そして、1)優雅で格調が高く、しかも親しみのある大きく豊かなスタイル 2)需要層の拡大を狙った豊富な車種構成 3)仕様の大幅な向上 4)安全対策の充実と信頼性の確保、という開発目標を掲げた。
3代目セドリックを具体的に企画するにあたり、開発スタッフが重視したのは「個人ユーザーにアピールするための内外装と走りの実現」だった。当時のラグジュアリーカーといえば、まだまだ法人使用がメイン。スタイルやインテリアのカッコよさよりも、耐久性や機能性に重きが置かれていた。その傾向を打破するため、開発陣は次期型で個人向けと法人向けの仕様をきっちりと分ける手法を採用する。そのうえで、個人向けにはスタイリッシュな2ドアハードトップの設定を計画した。
スタイリングに関しては、流行のコークボトルラインや曲面ガラスを採用し、スポーティで高品位なルックスに仕立てる。またハードトップの専用アレンジとして、角型ヘッドランプおよび立体造形のラジエターグリル、タルボ型のフェンダーミラー、3分割タイプ角型テールレンズおよび黒色フィニッシャー、シーケンシャル点灯のリアランプ、リアクオーターパネル内エアダクト、専用エンブレムなどを組み込んだ。さらにルーフ部にはボディ同色タイプのほか、ホワイトやブラックのレザートップも用意する。
インテリアについては、セダンと基本的に共通の全面ソフトパッドで覆ったインパネや完全無反射式のメーターを装着したうえで、ハードトップらしいスポーティなアイテムをふんだんに盛り込む。具体的には、Y字型スポークのステアリングやタコメーター、アナログ式の時計、セミバケットタイプの前席セパレートシートおよび専用デザインのシート表地などを採用した。
搭載エンジンは高性能を発揮する6気筒に絞り、L20型1998cc直6OHC+ツインキャブレター(130ps。レギュラーガソリン仕様は125ps)と同エンジン+シングルキャブレター(115ps)の2ユニットをラインアップする。組み合わせるミッションは、フロアタイプのフルシンクロ4速MTとニッサン・フルオートマチック(3速AT)の2機種。前・ダブルウイッシュボーン式/後・半楕円リーフスプリング式のサスペンションは、ハードトップのキャラクターに合わせて専用チューニングを施した。
3代目となるセドリックは、初めて基本コンポーネンツを共有化したグロリアとともに、230型の型式を付けて1971年2月に市場デビューを果たす。2ドアハードトップに関しては、4月から販売が開始された。
2ドアハードトップのグレード展開は、L20型+ツインキャブレター仕様のGXを筆頭に、シングルキャブレター仕様のGL/スーパーデラックス/デラックスという計4系列をラインアップする。ボディカラーはダークブラウンメタリック/ゴールドメタリック/パープリッシュシルバーメタリック/レッド/オリーブグリーンメタリック/ホワイト/ライトグレーメタリックの計7色を設定し、すべての外装色に専用ストライプをオプションで用意していた。
個人ユーザーに向けた2ドアハードトップの設定は、230型系セドリック(とグロリア)の販売成績を大きく伸長させる。また、同時期にフルモデルチェンジしたMS70/60型系トヨタ・クラウンのスタイリング(スピンドルシェイプ)の評判が芳しくなかったことから、セドリックの評判はいっそう高まった。
この勢いを維持しようと、日産の開発陣は230型系セドリックの車種強化を矢継ぎ早に図っていく。1971年10月にはL26型2565cc直6OHC(140ps)エンジンを搭載する2600シリーズを追加。1972年7月になるとマイナーチェンジを実施し、グリルやテールランプなどのデザインを変更する。1972年8月には国産車初のボディ形状となる4ドアハードトップ仕様を設定した。このころになると、230型系セドリック(とグロリア)の中型乗用車市場での人気は確実なものとなり、最大のライバルであるMS70/60型系クラウンの販売台数を凌駕するようになったのである。