名勝負/富士300キロレース(GT-R50勝) 【1972】

公認レース50勝目を飾った豪雨の激闘

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つねに速さを磨き進化したGT-R

 圧倒的な速さを披露し「勝つことは当然、レースに負けるとニュースになる!?」と言われた初代スカイラインGT-R。1969年5月の「JAFグランプリ」で歴史的な1勝目を記録するとまさに快進撃を演じ、1972年3月の「富士300キロレース」でついに公認レース50勝を記録する。

 レースでのスカイラインGT-Rの強さは圧倒的だった。GT-Rの高いポテンシャルが勝利の大きな要因だったが、それを極限までチューンアップし続けた日産技術陣の手腕と、速さを見事に引き出すドライバーのテクニックが一体となっての勝利と言えた。GT-Rの初陣となった1969年JAFグランプリで2分13秒42だった富士スピードウェイでのラップタイムは、2年10ヵ月後の50勝目となる富士300キロレースでは2分00秒41まで縮めていた。初代GT-Rは、まさに進化するレーシングカーだったのだ。

忍び寄るロータリー勢の影

 しかし50勝目までの道のりはけっして平坦ではなかった。とくにロータリーエンジンを搭載したマツダ勢が本格参戦を開始した1970年の中盤以降は“薄氷の勝利”が続く。軽量ボディにパワフルで滑らかなロータリーエンジンを積んだマツダ勢は、マシンをファミリア・ロータリークーペからカペラ、そしてサバンナRX-3へとマシンをスイッチするごとに完成度を上げ、恐るべき速さを身に付けていた。実はGT-Rの50勝目は、1971年12月12日に開催された「富士ツーリストトロフィー500マイル」と予想されていた。富士スピードウェイを133周で競うツーリングカーの耐久レースである。このレースに優勝すればGT-Rはただの50勝ではなく“50連勝”を名乗れた。

 日産は富士ツーリストトロフィーに、高橋&都平選手組、北野&長谷見選手組、砂子&須田選手組の3台のワークスGT-Rを用意して必勝を期した。対するマツダ勢も7月の富士、8月の鈴鹿の耐久レースで得たセッティングを参考にマシンを熟成。速さとともに安定性を身に付けていた。
 レースは波乱で幕を開ける。1周目のS字コーナーで最も調子のよかった高橋&都平選手組のGT-Rが、カペラ・ロータリークーペに激突されレースを終えてしまったのだ。砂子&須田選手組も38周目に、北野&長谷見選手組も97周でマシントラブルのため戦列を去った。最終的に優勝を飾ったのはマツダファクトリーの加茂&増田選手組のサバンナRX-3である。GT-Rはプライベーターの久保田&杉崎組が2位に入る健闘を見せたものの、負けは負けだった。デビューウィンから2年7ヵ月目で初めてGT-Rは敗北を喫したのである。

豪雨の激闘、そして見事な勝利

 1972年3月の「富士300キロレース」に日産は背水の陣で臨んだ。すでに極限まで磨き込んでいたGT-Rのエンジンを一段とシェイプアップ。フライホイールを軽量加工し、カムシャフトのプロフィールを一段と高回転型にすることで253psを実現。ブレーキもベンチレーテッドディスクに変更し戦闘力を引き上げる。日産は高橋選手、都平選手の2名に最新スペックのGT-Rを託した。一方ライバルのマツダは寺田選手のカペラと岡本選手のサバンナRX-3が迎え撃つ。富士300キロには伏兵もいた。トヨタのセリカ1600GTである。新開発の2T-G型DOHCエンジンと軽量ボディを持つセリカはブランニューマシンながら侮れない速さを発揮した。

 予選はGT-Rの圧勝だった。予選トップは2分00秒41のGT-R高橋選手。2位も2分02秒46でGT-R都平選手が続いた。3位、4位はセリカ、5位にはプライバートGT-R久保田選手が食い込み、マツダ勢は6位のカペラ寺田選手が最速だった。
 予選翌日のレースは豪雨と強風の最悪なコンディションとなる。それでもGT-R勢は好調で、高橋、都平選手の2台はスタートを鋭く決めると盛大な水しぶきを上げながらランデブー走行を披露。3周目には早くも最初の1台を周回遅れとする。8周目に都平選手がクラッシュで戦列を去るが、高橋選手は絶好調。悪天候のためレースは僅か12周に短縮されたが、フィニッシュの時点で高橋選手は2位以下のすべてのマシンを周回遅れとしていた。まさに文句なしの50勝目だった。
 2位にはプライベーターのGT-R久保田選手が入り、3位、4位は予選どおりにセリカ、マツダ勢は5位にサバンナRX-3岡田選手、6位カペラ寺田選手が食い込むにとどまった。

 初代GT-Rは公認レース50勝の金字塔は、勝利のために生まれたGT-Rの素晴らしさの証明だった。その後GT-Rは公認レースでの優勝回数を通算57勝まで伸ばして見せた。サラブレッドは最後まで誇り高きサラブレッドだったのである。