セリカGT-FOUR 【1986,1987,1988,1989】
流面形+ハイパワーユニットのスポーツ4WD
トヨタは1985年のフランクフルト・モーターショーと同年の東京モーターショーに、セリカGT-FOURと呼ばれるカブリオレの試作モデルを展示した。このGT-FOURは、およそ一年後の1986年10月にトヨタ セリカ2000GT-FOURとなって市販された。GT-FOURのFOURは、このセグメントではトヨタ初となるフルタイム4輪駆動システムの存在を意味するものだった。
スポーツスペシャルティのセグメントでフルタイム4輪駆動システムを一般化したのは、1980年に市販されたアウディ クワトロである。アウディ・クワトロは、それ以前の時代に開発されたオフロード向けではなく、高速ツーリングにおけるスタビリティの高さと安全性の高さを狙いとしてのオンロード向け4輪駆動システムだった。オンロード向け4輪駆動システムの元祖としては、英国で1966年にファーガソンシステムを搭載して少数が造られたジェンセンFFが最初であった。これは320台が造られている。純粋なオンロード向けではないが、日本のスバルも4輪駆動モデルの開発には熱心で、1971年の第18回東京モーターショーにスバルff-1 1300Gバンをベースとした4輪駆動モデルを展示。後にレオーネ4WDへと受け継がれていった。
セリカGT-FOURのボディは、前輪駆動のセリカ2000GTと基本的に変わるところはない。違う点は、フロントのエアダムスカートが一体化されて、その中にフォグライトが埋め込まれていること。ボディ同色のドアミラーや、同じくボディ同色のリアライセンスプレートガーニッシュなどを採用していることなどである。
インテリアでは、ステアリングのホーンボタンに「GT FOUR」と記され、ファブリック張りのシートの一部に本革が使われた。メーター類はすべてアナログ表示で、デジタル表示ではない。視認性の向上のためである。
セリカは、WRC(世界ラリー選手権)へのチャレンジを前提にしたモデルでもあった。当然、2000GT-FOURは、WRCマシンのベースとして開発されていた。
メカニズム面で最も注目されるのは、4輪駆動のシステムである。レイアウトはベベルギアを用いた機械式のセンターデファレンシャルを、トランスミッションやフロントデファレンシャル、トランスファーギアなどと一体化したトランスアクスル型となっている。軽量化と構造のシンプルさを狙った設計である。センターデファレンシャルにはロッキング機構が組み込まれており、室内にあるスィッチ操作で電磁的にコントロールされるバキュームアクチュエーターにより作動する。スイッチはシフトレバーの後方、センターコンソールにある。フロントのトランスアクスルからのトルクを後部デファレンシャルに伝えるプロペラシャフトは3分割型となり、振動や騒音を抑える構造になっている。トルク配分は前後アクスルへは50:50と理想的な配分が行われる。トルク配分の調節はできない。
サスペンションは前がマクファーソンストラット/コイルスプリング、後はデュアルリンクストラット/コイルスプリングの組み合わせで、基本的な構造は前輪駆動型のモデルと共通するものだが、ブッシュやスプリングなどは大幅に強化されている。さらに、トレッドは前輪駆動モデルに比較してリアが拡大されており、前がFFモデル同様の1465㎜、後は10㎜拡げられて1440㎜となった。ボディ剛性向上のためのストラットタワーバーや前後スタビライザーバーなども標準で備わる。
ステアリングはパワーアシスト付きのラック&ピニオン式。ブレーキは前が冷却に優れるベンチレーテッド型ディスク、後はソリッド型ディスクで、共にサーボ機構を備える。アンチスキッドのデバイスは組み込まれていない。標準で装備されるタイヤは、195/60R14サイズのピレリP600で、ブリヂストン製のRE71もオプション設定されていた。
フロントに横置きに搭載されるエンジンは、排気量1998㏄の直列4気筒DOHC16バルブにインタークーラー付きターボチャージャーを組み合わせた3S-GTE型で8.5の圧縮比と電子制御燃料噴射装置を備えて、185ps/6000rpmの最高出力と24.5㎏-m/4000rpmの最大トルクを発揮する。車両重量は4輪駆動システムの搭載やボディやサスペンションの強化のため、前輪駆動モデルの2000GT-Rに比べておよそ200㎏重い1350㎏になっていた。性能的にはシリーズ中トップの高性能で、ある記録によれば、最高速度は210㎞/h。0→400m加速は14.8秒だと言う。価格も297万6000円と、前輪駆動モデルの最高価格車である2000GT-Rの207万9000円と比べても、これまたシリーズ中では最も高価なモデルとなる。
セリカ2000GT-FOURは、WRCマシンとしての側面があったことを見逃すことはできない。セリカ2000GT-FOURをベースにしてグループAマシンに仕立て上げ、WRCへの本格的な参戦を開始したのは1988年5月のツールド・コルスが最初で、同年のRACラリーでは3位を獲得した(ERCのキプロス・ラリーでは1位に)。
翌1989年のオーストラリア・ラリーで1位、2位を得てセリカの快進撃が始まることになる。1990年のサファリ・ラリーでは1位、3位、4位を獲得。加えて、アクロポリス・ラリー、1000湖ラリー、RACラリーなどに優勝、ワークスドライバーであったカルロス・サインツがWRCのドライバーズタイトルを獲得、日本車をドライブした最初のチャンピオンとなった。続く1991年シーズンもモンテカルロ・ラリー、ポルトガル・ラリー、ツールド・コルス、ニュージーランド・ラリーでも優勝を得るなど、セリカ2000GT-FOURは、WRCのトップコンテンダーとしての力を遺憾なく発揮した。
安全性や省エネルギー、あるいはクリーン化など、車を取り巻く環境は今日のそれに比べればいまだそれほど厳しくはなかった1980年代後半という、ある意味でクルマにとってきわめて恵まれた時代でなければ生まれ得ない高性能モデルのひとつとして、セリカ2000GT-FOURは永く記憶されるモデルなのである。