ラシーン 【1994,1995,1996,1997,1998,1999,2000】

デザイン性に長けた唯一無二のクロスオーバーワゴン

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パイクカーの延長線上に

進的かつ個性的な存在を言い表したものである。Be-1に端を発するパイクカーは、その後パオやエスカルゴ(ともに1989年1月発売)、さらにフィガロ(1991年2月発売)へと発展する。いずれも、数万台規模の限定生産であったことが特徴であった(数万台と言う台数を「限定生産」と言うかどうかはともかくとして)。

 1994年12月に発売されたラシーンも、こうしたパイクカーの要素を持ったモデルではあったが、それまでのパイクカーと異なる点は、少数限定生産ではなく、正式な量産車として継続的な生産が行われたことだ。しかし、量産モデルのシャシーコンポーネンツを流用し、他のモデルとは全く意匠や目的の異なる個性的なモデルを生み出したという点では、これも立派なパイクカーと言って良い。車名のラシーン(RASHEEN)とは、船舶の航行に不可欠な羅針盤から生まれた造語であった。

パイクカー誕生の背景と、生活を彩るSUVの台頭

 なぜ、1980年代半ばという時代に、パイクカーと呼ばれるような不思議なモデルが登場したのだろうか? 大きな理由のひとつは、クルマの設計技術や生産技術、スタイリングデザインなど、性能重視でクルマを生み出す手法がある一定のレベルまで到達してしまい、一種の飽和状態に陥ってしまったのだ。周囲に立ちはだかる様々な壁を打ち破り、新しい世界を開くには、かなり思い切った発想の転換を必要としていた。パイクカーは、クルマ造りにおける発想の転換の先兵となっていたと思われる。これは、クルマを造る側であるメーカーだけの問題ではなく、他方でクルマを購入し、実際に走らせるユーザーの側にも存在していた大きな問題だった。パイクカーが高い人気を集めたのには、そうした社会全体の現象があったのである。

 パイクカーという、一風変わったクルマ達のブームと相前後してやって来たのは、小型SUVと呼ばれる4輪駆動車の流行だった。それらは決してトヨタ ランドクルーザーや日産サファリ、三菱パジェロなどと言った本格的なオフロード性能を持ったハードなモノではなく、「シティオフローダー」などという言葉に言い表されているように、雨で濡れた道路や雪道などで、安全にしかも快適に走れるようなクルマ達だった。具体的にはトヨタ RAV4、スズキ エスクードなどである。これらの小型SUVの成功に一歩出遅れた感のあった日産が、急遽デビューさせたモデルがラシーンだった。

パーソナルな楽しさを極めて誕生

 ラシーンは日産が謳ったキャッチフレーズでは「4WDプライベートビークル」となっており、若い人たちに向けたパーソナルなレジャーカーと位置付けられていた。スキーやキャンピング、サーフィン、スキューバダイビングなど、アウトドアスポーツやレジャーに出かけるための移動手段である。したがって、本格的なオフロード性能よりも、人と荷物を同時に安楽かつ快適に、そしてなによりも安全に運ぶことを目的としていた。

 シャシーコンポーネンツに選ばれたのは、サニーとパルサーの4輪駆動モデルであった。ホイールベースを2430㎜と標準型サニーよりも105㎜ほど短くしたフロアユニットにサニー系と同じサスペンションや駆動系を組み込んでいる。エンジンは排気量1497㏄の直列4気筒DOHC(CA15DE型、出力105ps/6000rpm)一種のみとなる。駆動方式はフロント横置きエンジンによるVCU(ビスカス カップリング)付きフルタイム4輪駆動で、トランスミッションは4速オートマチックと5速マニュアルのどちらかが選択できた。トランスミッションやデファレンシャルのギア比などは、サニー(とパルサー)のものと変わりない。サスペンションは前がストラット/コイルスプリング、後ろがパラレルリンクストラット/コイルスプリング、ブレーキも前がベンチレーテッドディスク、後がドラムでともにサーボ機構を備える。これもサニー系のままであった。

飾りを持たないシンプルさが個性に

 スタイリングは、平面と直線を多用したキュービックなもので、4ドアステーションワゴンのスタイルを採る。ルーフはCピラー以後が一段落し込まれており、この部分まで上下2分割式のテールゲートをルーフ上側部分と一体で開くことができる。また、Cピラーの後側面には固定されたウィンドウがあり、後方視界を助けている。ボディ側面が平らなこともあり、車両感覚は掴み易くなっている。飾り気のないスタイリングデザインだが、独特の合理性があり、魅力のひとつとなっていた。

 スペアタイヤはテールゲートの外側に別個のヒンジ付きフレームを設けてそれに固定するようになっていた。クロスカントリーとしての雰囲気を醸し出している。ただし、スペアタイヤはスペースセーバー型となる。また、全高を1450㎜(ルーフレール付きは1515㎜)に抑えているため、回転式駐車場や天井の低い駐車スペースでも駐車でき、都市部でも十分使えるものとなっていた。

1.8Lと2L車の4WDシステムはアテーサに

 ラシーンは、1997年1月にフェイスリフトが実施され、グリルやウィンカーレンズ、内装などが変更される。同時に助手席側にもSRSエアバッグおよびABSを標準装備として安全性を向上させた。また、絶対的な性能向上のために、排気量1838㏄の直列4気筒DOHC16Vエンジン(SR18DE型、出力125ps/6000rpm)を搭載し、4輪駆動システムは日産の独自開発によるアテーサ方式に切り替えた。さらに、1998年4月にはトップグレードとなるフォルザを加えた。このモデルは排気量1998㏄の直列4気筒DOHC(SR20DE型、出力145ps/6400rpm)を搭載し、ボディーを拡大したもの。サイズ的にはホイールベースは2430㎜と変わらないが、全長4150㎜、全幅1720㎜、全高1515㎜となり、ボディーサイズの点で3ナンバーサイズとなった。グリルやヘッドライトの意匠が変わり、前後のホイールアーチにオーバーフェンダーが付き、リアゲートも前傾するなどのスタイル変更が加えられたが、性能の向上は果せたものの、オリジナルのラシーンが持つ軽快さは大いに失われた。

 このころ、トップメーカーであったトヨタに対抗するべく、膨大な種類のモデルを展開していたが、同時に日産の経営状態は危機的な状況に陥っていた。メーカーの存続のため、1999年にはフランス ルノー社の資本提携を受け入れることになった。当然、生産車種の整理統合は必須となったが、ラシーンもその例外とはなり得ず、2000年8月を以て生産を終えた。安価でお手軽なレジャーカーとして、魅力的なモデルであったことは間違いない。