スカイラインGT-R(R33) 【1995,1996,1997,1998,1999】
さらなる速さを追求した進化版“赤バッジ”
標準車からVスペック・シリーズ、NISMO、N1ベース仕様車を合わせて、4万3990台もの生産台数をたたき出したR32型スカイラインGT-R。渾身作とはいえ、400万円を裕に超える高価格のスポーツモデルがこれほど売れるとは、メーカー側も予想していなかった。
GT-Rは“技術の日産”のイメージリーダーとしての役割だけではなく、市場シェアや収益を押し上げる優等生にもなる−−。そう判断した日産自動車の首脳陣は、9代目となる次期型スカイラインでもGT-Rの設定にゴーサインを出す。新しいGT-Rを自らの手で造りたかった開発陣にとっても、この決定は朗報だった。
しかし、実際の開発過程は決して順調には進まなかった。最初に立ちはだかったのが、ベース車となる次期型スカイラインのボディである。R32型系では先代のR31型系に対して全長を短く、全高を低くしてスポーティなディメンションに仕立てていたが、登録台数の面ではGT-Rという人気グレードを生み出したにもかかわらず、R31型系の30万9716台から29万6087台にまで減少する。30万台を切ったのは、日産ブランドで発売したC10型系のハコスカ以来、初の出来事だった。ショックを受けた日産は、9代目では広い居住空間が創出でき、見栄えもいい大柄なボディに仕上げることを決定し、ボディサイズやホイールベースの拡大を決定する。走りの性能向上が命題のGT-Rにとって、このボディの大型化は明らかに不利な要件だった。
次期型のR33型系GT-Rの開発は、1992年初頭から本格的に開始される。
車体とシャシーに関しては、ボディの大型化に伴い各部を徹底的に補強する。車体前部ではフロントストラットタワーバーやクロスメンバーを、後部ではリアストラットタワーバーやストラットタワーボード、リアシートバックセンター、フロアクロスバー、トリプルクロスバーを装着。車体全体ではサイドメンバーの一体化やセンターピラーの断面形状拡大、フロアパネルの板厚増大、サイドシルとサイドメンバーをつなぐアウトリガー構造の採用などを実施した。また、エンジンフードやフロントフェンダーパネルにアルミ材を使用して軽量化(スチール材に比べてマイナス約12kg)を施し、同時にバッテリーを後方配置するなどして最適な重量配分=ハイトラクション・レイアウトを実現する。燃料タンク容量については、運動性能を優先して従来の72Lから65Lへと縮小された。
開発陣はサスペンションにもこだわる。フロント側はアッパーリンクを二股構造化してキャンバー剛性を引き上げ、リア側はバウンド側のストロークを向上させてタイヤの接地性をアップ。さらに、前後サスペンション特性のマッチング最適化や取り付け部剛性の見直し、各部の補強なども実施した。最新の電子制御機構も積極的に採用し、ヨーレイトフィードバック制御を組み込んだ電動SUPER HICASやドライバーの意思により忠実に作動する専用ABSを装備する。ブレーキはフロント4ピストン、リア2ピストンのブレンボ社製ベンチレーテッドディスクを装着した。
エンジンについては、従来のRB26DETT型2568cc直6DOHC24V+インタークーラー付きツインセラミックターボをリファインして搭載する。主な改良ポイントはターボチャージャーの最大過給圧アップやコンピュータ制御の見直し(8ビット→16ビット)、インタークーラーの変更、可動部のフリクションロスの低減などで、得られたスペックは280ps/6800rpm、37.5kg・m/4400rpmに達する。従来のウィークポイントとされた中速域でのピックアップも、きめ細かな制御によって大幅に向上した。進化版RB26DETT型に組み合わされる駆動メカは、これまた改良を加えたアテーサE-TSで、前輪0対後輪100から同50対50の範囲でトルクを最適配分するトルクスプリット4WD。システム制御は従来以上にきめ細かく、しかもスムーズで素早いトルク移動を実現する。また、このアテーサE-TSにアクティブLSDと4輪ABSの制御を組み合わせた“アテーサE-TSプロ”も新規に開発した。
スタイリングに関しては、「高性能を象徴し、空力と冷却性能に優れたエクステリア」の実現を主要課題に掲げる。フロントバンパーやブリスターフェンダーなどは専用デザインで、見た目の低重心とワイド感を強調。空力特性では4段階角度調整機能付きリアスポイラーやフロントスポイラー、サイドシルプロテクターなどを装着し、Cd値(空気抵抗係数)0.35を達成する。冷却性能については、フロント部に大型のロアグリルやラジエターグリルなどを装備して効率の向上を図った。
インテリアは「機能性と安全性の両立」をメインテーマとする。機能性については、迅速で正確な運転操作を可能とすることを狙いとしたメーター/スイッチ/レバー類のレイアウトを採用。インパネ材質の質感も従来モデルより向上させる。シートは従来型で定評のあったモノフォルムバケットシートを、表皮やクッションなどを見直して装着した。安全面では、運転席と助手席のSRSエアバッグを設定(市販時は運転席側が標準、助手席側がオプション)したことがトピックとなる。
R33型系GT-Rの開発途中では、そのプロトタイプが1993年10月に開催された第30回東京モーターショーで参考出品車として披露される。しかしこのプロトタイプは、とくにスタイリングに関して観客からの評判があまりよくなかった。
フロントマスクはグリル開口部が小さめで、GT-Rらしい迫力が感じられない。リアスポイラーなどのエアロパーツ類についても、やや地味なムードに終始した。ベース車のR33型系スカイライン・2ドアスポーツクーペ(モーターショー開催の2カ月前に市場デビュー)と大きく雰囲気が変わらない、歴代の中で最も平凡なルックスのGT-R……。期待値が高いモデルだけに、そんなシビアな印象を観客に抱かせてしまったのである。
開発陣は鋭意、R33型系GT-Rのスタイリングの見直しを図る。グリル開口部は大型化したうえで、ブラックアウトしたメッシュタイプのカバーを装着。エアロパーツ類も、より迫力のあるデザインとした。また、ボディカラーのイメージ色にも工夫を凝らし、ミッドナイトパープルと呼ぶ深い紫の専用メタリックカラーを設定した。
R33型系GT-Rのプロトタイプは先代モデルと同様、過酷な走行条件で知られるドイツのニュルブルクリンクでのテストが実施される。
事前段階として新技術のメカはR32型のGT-R・Vスペック㈼に搭載して走行テストを実施し、R33型系GT-Rプロトタイプが完成した1993年半ばからは栃木のテストコースでの精力的なテストが開始される。当初は実験部のドライバーから“合格点からほど遠い”と酷評されたプロトタイプは、走るたびにボディのあちこちにスティフナー(補剛部品)が溶接され、それに伴って各部のチューニングも変更。1994年中旬には、富士スピードウェイでのテスト走行に臨むまでにクルマの完成度が高まった。
開発陣はテストの最終段階として、1994年秋にニュルブルクリンク・オールドコースにプロトタイプを持ち込む。徹底的な走り込みとチューニング変更の繰り返しの結果、ラップタイムのベストはR32型の8分20秒を21秒も短縮する7分59秒をマークした。この事実は後に、「マイナス21秒ロマン」として市販時のキャッチコピーに使用された。
R32超えを目指したR33型系スカイラインGT-Rは、ユーザーの大きな期待のなか、1995年1月に開催された東京オートサロンの舞台で華々しくデビューする。型式はBCNR33。グレード展開は標準仕様のGT-RとアテーサE-TSプロを装備したGT-R・Vスペックの2タイプを用意し、車両価格はGT-Rが478.5万円、GT-R・Vスペックが529万円に設定された。
市場に投入されたR33型系GT-Rは、デビュー当初の1年は8446台の登録という好成績を記録したものの、翌96年(ステアリング形状やインパネのデザインを変更した中期型)には半減以下の4093台にまで落ち込む。1997年2月にはリアサスペンション取り付け部の強化や空冷式オイルクーラーのオプション設定、ABSのセッティング変更、キセノンヘッドランプの装着、エアインテークの追加などを実施した後期型に移行するが、同年の登録台数は2708台へとさらに減少し、モデル末期の1998年にいたっては1180台となってしまった。
最終的に1万6520台あまりの生産台数で終わったR33型系GT-R。性能面ではR32型を凌駕したものの、モータースポーツでの活躍が少なかったことや大柄なボディでスポーツマインドが伝わりにくかった点などが災いし、高い人気は獲得できなかった。歴代GT-Rのなかで、その実力の高さが最も過小評価されてしまった悲運のモデル−−。それが現代の目から見たR33型系GT-Rの姿なのである。