昭和とクルマ05 【1959,1960,1961,1962】

モータリゼーション進展をサポートした名車たち



本格的な小型乗用車ブルーバードの衝撃

 1950年代中盤以降の日本の自動車市場を牽引する国産小型乗用車として、大好評を博したダットサン・セダン。同車は1959年8月になると全面改良が行われ、幸福のシンボルを意味する“青い鳥”の車名を冠した310型系「ダットサン・ブルーバード」に移行した。本格的な5人乗りセダンボディを導入し、フロントサスに独立懸架のウイッシュボーン/コイルを備えた310型系ブルーバードは、たちまちダットサン以上の高い人気を獲得する。発売1カ月後には、早くも8000台あまりの受注を抱えた。

屈指のライバル対決“BC戦争”の始まり

 ブルーバードの登場から2カ月ほどが経った同年10月、日産自動車の最大のライバルであるトヨタ自動車工業が、新開発のP型997cc直4OHVエンジンを積んだPT10型系「トヨペット・コロナ」を発売する。PT10型系コロナは従来のST10型系に比べて最高出力が12psも向上し、最高速度はブルーバードに匹敵する105km/hを達成。さらに、後席寸法を拡大して乗車定員を4名から5名に増やしていた。

 スペックでは肩を並べたブルーバードとコロナ。しかし、販売成績ではブルーバードが圧倒する。コロナは発売から半年で3500台弱を販売するのがやっと。一方のブルーバードは、月販で3000台を記録するほどの好調ぶりだった。
 高い人気を獲得したブルーバードは、その勢いを維持しようと矢継ぎ早に車種追加や内外装のリファイン、機構面の改良などを行っていく。一方のコロナは打倒ブルーバードを目指して1960年3月に全面改良を実施し、2代目となるPT20型系に切り替わった。PT20型系コロナは欧州志向の斬新なデザインで注目を集めたものの、1枚リーフとコイルの組み合わせによる後輪カンチレバー式サスが「耐久性がない」と不評を買い、いつしか「コロナは弱いクルマ」というレッテルが貼られてしまう。結果的にコロナは、デビュー当初を除いてブルーバードの販売台数に大きく後れをとることとなった。

マイカーを目指した意欲作たち

 1955年に公表された通産省の“国民車構想”によって、一般市民の間でも「自家用車を持てるかもしれない」というムードが一気に高まる。また、各自動車メーカーも独自企画の国民車を鋭意模索するようになった。ここでは市販に移された3台の代表モデルを見ていこう。

 戦後に「ヘンリーJ」のノックダウン生産で乗用車造りを経験してきた三菱は、1960年4月になるといよいよ独自企画の乗用車の発売にこぎつける。新三菱重工業の名古屋製作所が開発を手がけた「三菱500」だ。三菱500は当時の欧州製スモールカーに範をとった小型乗用車に仕立てられる。ボディは2ドア4座のモノコック構造で、シャシーには前後トレーリングアーム/コイルの四輪独立懸架を採用。風洞実験を駆使したスタイリングは虚飾を廃し、シンプルな外観に仕上げる。リアに積み込まれたエンジンは4サイクルのNE19型493cc空冷2気筒OHVで、最高速度は90km/hに達した。

3輪車のマツダが作った小粋なクーペ

 東京などの大都市圏から遠く離れた広島に本拠を構えながら優れた三輪/四輪トラックを製造し、自動車産業界にその名を馳せていた東洋工業。同社は1960年4月に初の乗用車となる「マツダR360クーペ」を発表した。R360クーペには当時の東洋工業の技術の粋が結集される。搭載エンジンはUA型356cc空冷V型2気筒OHVで、ロッカーケースやオイルパンなどの素材にはマグネシウム合金を、シリンダーヘッドやクランクケース等にはアルミ合金を使用する。組み合わせるミッションは4速MTのほかに、トルクコンバーターを用いた“マツダ・トルクドライブ”2速ATを設定。シャシーは前後サスにトーションラバーを組み込んだ四輪独立懸架で、2+2キャビンを内包したボディは軽量なモノコックで仕立てた。

国際レベルの小型車パブリカ誕生

 1956年にトヨタ版国民車の試作モデルである「1A」の第1号車を公開し、以後度重なる改良を続けていたトヨタ自工は、1961年6月になってついにトヨタ版国民車の発売にこぎつける。車名は公募の結果、パブリック(大衆)とカーを掛け合わせた「パブリカ」と名づけられた。UP10の型式を付けたパブリカは、軽合金やプラスチック材を多用したシンプルで軽量なボディ、新設計のU型697cc水平対向2気筒OHVエンジン、軽自動車に匹敵する38万9000円の低価格などで話題を集める。当時の自動車マスコミからは、「思想があるクルマ」などと称えられた。

本格派スポーツカー「フェアレディ1500」の登場

 従来型まではあくまで感覚的なスポーツカーだったフェアレディS211/SPL212〜213。しかし、日産の開発陣はこのままでは満足できなかった。世界に通用する本格的なハイパフォーマンスモデルを造りたい——。その意気込みは、1961年10月にショーデビューし、翌1962年10月から市販に移されたSP310型「フェアレディ1500」とその輸出仕様であるSPL310型「ダットサン1500」に結実する。

 フェアレディ1500の搭載エンジンは、セドリック用のG型1488cc直列4気筒OHVを流用。組み合わせるミッションには、2〜4速シンクロタイプを採用した。フレームはブルーバード312型をベースに、ミッション後方にX型クロスメンバーを加えて強化を図る。足回りは前ダブルウイッシュボーン/後リーフリジッドとオーソドックスな形式だが、各部に入念なチューニングを施した。
 スポーツカーは進化が命題——そんな欧米メーカーの考えに範をとった開発陣は、デビュー後も着々とフェアレディの改良を実施していく。1965年5月にはR型1595cc直列4気筒OHVエンジンを積み込んだSP311型「フェアレディ1600」を発売し、ついに“100マイルカー”の仲間入り。そして1967年3月には、U20型1982cc直列4気筒OHCエンジン+ポルシェタイプシンクロ5速MTを搭載して最高速度205km/hを誇るSR311型「フェアレディ2000」を市場に放った。