アコード ハッチバック 【1981,1982,1983,1984,1985】

初代のコンセプトを巧みに継承した2代目



1976年にHBボディを纏い登場したアコード。
先進の技術と装備を備えてのデビューとなり、
後に4ドアを加え、世界90カ国で販売される
ワールドカーに成長する。
2代目では、HBとセダンが同時に発売。
新時代の国際車として、さらなる進化を遂げる。
HBモデルは、分割リアシートを採用し、
小型車の新機軸となる。
シビックのひとクラス上の車格

 実質的には、1964年にモーターサイクルをそのまま4輪車にしたような、2人乗りのスポーツカー「S500」(軽自動車規格の「S350」もあったが生産化に至らず)と言う、きわめて特殊なモデルで4輪車の生産に進出したホンダは、1967年には軽自動車のN360を、1969年には1300を発表し、着実に自動車メーカーとしての地位を築いていた。

1970年代初頭に起こったオイル・ショックを、小型車シビックと低公害エンジンのCVCCで乗り切る。こうなると、小型車シビックの上級モデルが求められるようになっていた。たしかに、シビックのボディサイズでは、1〜2人で走るには不満はないが、4〜5人ではいささか窮屈で、荷物の積載量も多いとは言えなかった。

こうしたユーザーの要請に応えて、1976年5月に登場したのが、3ドアハッチバックのアコードだった。基本的な設計は、シビックをそのまま拡大したと言えるものだったが、大型化されたボディや排気量の大きなエンジンを搭載したことで、2リッタークラスに負けない室内スペースの広さとハッチバックによる実用性の高さ、走りの性能の良さ、さらに、CVCCエンジンによる低公害指向などが魅力となり、大きな人気を集めた。

さらに居住性を高めた2代目

 オリジナルモデルのデビューから5年が経過した1981年、アコードはフルモデルチェンジされて、2世代目となった。ホイールベースが70mm、トレッドが前後20mmそれぞれ拡大され、ボディサイズはオリジナルに比べて、ひと回り大型化されている。3ドアハッチバック、そして1978年に加わった3ボックススタイルの4ドアセダン、どちらも2代目へと進化。アコードはホンダの中核を成すモデルとして魅力を深めたのである。

搭載されるエンジンは2種あり、排気量は1601ccと1750cc、いずれも水冷直列4気筒SOHCで駆動方式は横置きエンジンによるFWD。トランスミッションも5速MTと3速ATの2種から選べた。

HBスタイルが人気の牽引役に

 アコードは、シビックとともに、日本の自動車社会にハッチバックと言う新しいスタイルを定着させた功労車と言って良い。すくなくとも、それまでの乗用車と言うものは、3ボックス型の4ドアないし2ドアのセダンが普通と考えられていたからである。また、一台であらゆる用途に対応可能な、2ドアセダンとステーションワゴンの中間的なモデルとしてデザインされていたアコード(とシビック)は、駐車場の確保など住居条件の厳しい大都市部を中心として、クルマを目的別に複数所有することが難しくなりつつあった当時、きわめてタイムリーなデビューだったわけである。

 アコードの大きな成功を目の当たりにしたライバルメーカーたちは、こぞって同様のハッチバックモデルを開発するほどだった。ホンダは、このアコード・シリーズで乗用車造りのノウハウを学び、本格的な自動車メーカーへと発展する端緒を掴んだと言える。普通車から大型車への開発の可能性を確立し、やがて後に続くレジェンド(1985年)やオデッセイ(1994年)などの高級車へと駒を進めるのである。 

COLUMN
派生モデルを生み、発展していくアコード
2代目アコードと同時にデビューしたのが、ベルノ店向けのビガーである。4灯式ヘッドライトのフロントマスクなどで差別化を図っていたが、アコード同様、4ドアセダンと3ドアHBを用意した。1985年、アコードは3代目に移行。アコード、ビガーともに4ドアセダンを用意したが、HBモデルは、アコード・エアロデッキのみとなる。その後、アメリカ生産のアコード・クーペの輸入が始まり、4代目アコードではインスパイアを追加、プリモ店向けにアスコットが登場する。その後も、アコード系は、アコード・ワゴン、アスコット・イノーバ、ラファーガなどを生み出していく。