オースチン・ミニ・カントリーマン 【1960〜1969】

機能性とスタイルで支持を集めたミニのワゴン版



小型乗用車の革命児となる“ADO15”の開発指令

 1956年10月にイスラエルとエジプトのあいだでスエズ運河の領有権を巡って起きたいわゆる“スエズ動乱”は、世界の自動車市場に深刻な影響をもたらした。原油の大幅な供給減による自動車用ガソリンの欠乏が起こったのだ。とくにエンジン排気量の大きいモデルへの影響は大きく、自動車メーカーは燃費のよい小型車の開発に目を向けなければならなくなった。

 この状況下で、英国最大の自動車メーカーであるBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)の総帥であったサー・レオナード・ロードは、BMCのデザインセンターであるADO(オースチン・デザイン・オフィス)の主任デザイナー、アレック・イシゴニスに全く新しい経済的な小型車の開発を命じる。その条件は、可能な限り既存の量産車のコンポーネンツを使って生産コストを下げること。さらに、大人4名が乗れて、燃費は1リッター当たり20km以上であること、などを課していた。

 厳しい開発要件にイシゴニスは敢然と挑戦し、横置きエンジンによる前輪駆動方式、トランスミッションをクランクシャフトの真下に搭載して中間ギアで連結するという新手法、ラバーコーンを使った前後独立式サスペンション、全長3.0m/全幅1.4m/全高1.35mのスペースのなかに大人4名が座れるパッケージングなど、小型車設計の様々な新機軸を具現化する。そして、“ADO15”のコードネームを付けた新しい小型サルーンは、1959年8月に「オースチン・セブン」「モーリス・ミニマイナー」の車名で市場デビュー。通称ミニ(Mini)と呼ばれて人気を集め、商業的にも大きな成功を収めることとなった。

最初の派生モデルとして「ミニ・バン」を発売

 イシゴニスら開発陣は、当初からADO15サルーンのコンポーネントを使って派生モデルを生み出す計画を立てていた。そのプロジェクトは、1960年代に入ると次々と実現されていく−−。
 最初に登場したのは、量販が期待できる商用モデルだった。1960年4月、ミニをベースにリアに荷室を設けた「ミニ・バン」(クオーター・トン・バン)を発売する。ブランドについてはサルーンと同様にオースチンとモーリスを使い、「オースチン・セブン・バン」と「モーリス・ミニ・バン」の車名で販売された。

 バンを製作する手法は非常にシンプルだった。サルーンのホイールベースを約108mm延長して2138mmとし、同時にリアボディを伸ばして大きな荷室を設ける。また、リアドアは左右横ヒンジの2分割式で、リアサイドガラスは未装備。ルーフ部にはベンチレーターを装備した。
 荷室はフラットな床面で仕立てられ、荷物の出し入れに配慮してリブを設定する。シートは運転席のみを装着し、パッセンジャーシートはオプションで用意した。サルーンではトランク内に立てて置かれた燃料タンクは、容量を2リットル増やしたうえで(27L )床下に配置。同時に、給油口はボディの右リアサイドに切り込みを入れて装着した。一方、外装ではボディ同色のプレスグリルの採用やメッキパーツの省略などでコストダウンを図り、車両価格の抑制につなげる。848cc直4OHVエンジンや4速MTのギアボックスといった動力機構はサルーンを流用。また、ラバーコーンを使った前後独立式サスペンションはセッティングを変えて装備した。

バンをベースとしたエステートカーのデビュー

 ミニ・バンのデビューから5カ月ほどが経過した1960年9月、2台目の派生モデルが登場する。バンをベースにした乗用タイプのワゴン、英国流にいうとエステートカーに仕立てた「オースチン・セブン・カントリーマン(1962年1月にはオースチン・ミニ・カントリーマンに変更)」と「モーリス・ミニ・トラベラー」が市場デビューを果たしたのだ。

 カントリーマン(そしてトラベラー)は、バンと同様に2138mmのロングホイールベースと延長したリアボディ(全長は3300mm)、観音開きのリアドアなどを採用したうえで、内外装の上級化を敢行する。外装では、フロントのグリルやバンパー、窓枠にメッキタイプを導入。リアバンパーにはメッキ処理した2分割タイプを組み込む。さらに、リアサイドにはスライド開閉式の大きなウィンドウを新装備。5.20-10サイズのクロスプライタイヤと組み合わせるホイールには、メッキタイプのキャップを装着した。また、リアサイド後半とリアドア部には瀟洒なウッドトリムをセットし、外観をより華やかな印象に仕立てる。同時に、輸出モデルにはウッドトリムレスのオールスチールボディも設定。このタイプは、1962年10月より英国内でも販売された。

 カントリーマン(そしてトラベラー)の内装は、サルーンと同仕様のインパネおよびトリムを採用したうえで、折りたたみ式のリアシートやカーゴルームを含めた全面フロアカーペットなどを標準装備する。燃料タンクはサルーン比で4.6リットル増量(29.6L)。タンク自体は荷室の左サイドに設置し、給油口はリアボディの左サイドに当初はレイアウトするが、1962年10月からはタンクを床下に、給油口をリアボディの右サイドに移設した。荷室容量は4名乗車時で524リットル 、リアシート格納時で1005リットルの大容量を実現。コンパクトなボディからは想像できないほどのユーティリティを発揮した。リアドア開口部がスクエアで、しかもフラットかつ低い床面を有していたため、荷物の積み下ろしも非常に楽だった。

1965年にはイージードライブ指向のATを設定

 動力源や懸架機構に関しては基本的にバンと共通で、BMC Aシリーズの848cc直4OHVエンジン+SU HS2キャブレター(34ps/6.08kg・m)に4速MTのギアボックス、ラバーコーンを使った前ウィッシュボーン/後トレーリングアームの前後独立サスペンションを採用する。最高速度はサルーン比で10km/hほど低い110km/hと公表された。また、1965年10月にはオートモーティブ・プロダクツ社が開発を手がけた7ポジションの4速ATをオプションで用意した。

「ビジネスと娯楽の両方をこなすデュアルパーパスの完成形」をアピールポイントに謳って市場に放たれたカントリーマンは、サルーン以上にファミリー層からの熱い支持を獲得し、ミニ・シリーズの拡販に貢献する。また、輸出も好調に推移。日本には当時、英国大使館用として1台のオールスチールモデルが輸入された。

クーパーと並ぶ伝説的な人気モデルに成長

 シリーズの人気モデルに成長したカントリーマン(そしてトラベラー)は、1967年10月になるとサルーンと同様にMkⅡモデルに発展する。同時に、従来型はMkⅠと呼ばれるようになった。

 MKⅡはデザイン面ではフロントグリルの造形が変更され、カントリーマンはヒゲ付きの波形9本横バーから変六角形の枠を持つ横バー+縦桟タイプ(トラベラーはヒゲ付きの格子状タイプから変六角形の枠を持つ格子状)に切り替わる。また、ルーフ部には強度を高める目的で左右2本ずつ、計4本の太いリブが入れられた。搭載エンジンは998cc直列4気筒OHVユニット(38ps/7.2kg・m)に換装。従来の848ccに比べてパワーで約12%、トルクで約20%アップする。最高速度は従来比で10km/hプラスの120km/hと公表された。トランスミッションは従来と同様に4速MTと4速ATを用意するが、MTの操作機構はリモートコントロール式に刷新され、シフトレバー基部がドライバーの手元により近い直立タイプとなる。さらに、1968年8月にはMTのフルシンクロ化が実施された。

 多様なシーンで活躍するマルチパーパスカーとして人気を博したカントリーマン(とトラベラー)は、1969年10月に実質的な後継モデルとなるミニ・クラブマン・エステートが登場するとともに生産が中止され、間もなく新車市場から姿を消す。カントリーマンの総生産台数は約10万8000台(トラベラーは約9万9000台)を数えた。

 本来ならここでカントリーマン(とトラベラー)の車歴は終わるところだが、市場がそれを許さなかった。BMCミニをベースとするクラシカルで小粋な車両デザインや本物の木を使ったウッドトリムなど、他メーカーのエステートにはない個性が、生産中止後もファンを魅了し続けたのだ。そのため、リビルドパーツはウッドトリムを含めて世界中で豊富に製作され、さらにはすべてを新品パーツで仕立てた復刻新車まで登場する。その人気ぶりをミニ・シリーズ番付として表すと、東の横綱がクーパーで西の横綱がカントリーマン(とトラベラー)、そんな状況がずっと続いた。ADO15の可能性を広げると同時に、そのキャラクターの魅力を後年まで維持したミニ界のレジェンド−−それがカントリーマン(とトラベラー)の名車たる所以なのだ。